二千五百六十一 沙奈子編 「親子関係だって」
確かにあの時には、沙奈子の様子を見て、
『まだ早かったかもしれない』
と感じて。『ごめんね』と思ったりもしたけど、結果として絵里奈と玲那を受け入れたことで今のこの家庭があるわけだから、それだけを見れば、
『少々強引でもこの結果に至れたんだからそれでよし』
ってことになりそうだけど、こうなれる保証は何もなかったんだよ。本当にたまたまこうなれただけでしかない。
それなのに、強引にことを進めるのを礼賛する人は、上手くいかなかった時にはそれを誰かの所為にするんじゃないの?。子供が自分の思い通りにならなかったらそれを子供の所為にするんじゃないの?。
上手くいく保障なんか何もないにも拘らず強引に進めたことで当然の結果として上手くいかなかっただけなのに。
『親』に限らずそういう人がすごく多い気がするんだけどな。
職場の上司とかにも、そういう人がいたりしないかな。僕が以前勤めていた会社の上司はまさしくそういうタイプだったと思う。
とにかく自分の思ってる通りにすれば万事上手くいくはずだと何の根拠もなく思ってて、一方的に押し付けようとするんだ。しかも上手くいかなかった時には部下の所為にして。
そんなだから、現場の誰にも信頼されてなかったと思う。僕も信頼していなかった。
でも、だからと言って馬鹿にするつもりもないんだ。ただ信頼できないだけ。関わり合いになりたいとは思わないだけ。
仕事上は仕方ないけど、プライベートではそれこそ勘弁してほしいと思ってた。
そう思ってたんなら、自分自身がそんな風に思われるような人にならないようにしなくちゃね。
ましてや自分の子供にそんな風に思われるなんて、情けない限りだよ。
『子供には親のことなんか分からない。理解できない』
と考えてる人も多いかもしれないけど、それはそもそも、
『自分のことをちゃんと伝えるための努力をしてないのを正当化するための言い訳』
じゃないのかな。僕にはそうとしか思えないんだけどな。
親子関係だって結局は『人間関係の一種』でしかないんだよ。僕はそれを沙奈子と出逢って絵里奈と出逢って玲那と出逢って玲緒奈と出逢って、確認した。自分ばかりが一方的に慮ってもらえるとか気遣ってもらえるとか、そんなことを考えてたら人間関係なんて上手くいくはずないって。
それと同時に、子供が上手く相手を慮って気遣ってってできないのは、そもそも経験が少ないんだから当たり前だって。親をはじめとした身近な大人たちが相手を慮って気遣ってってする姿を見て学んでいくんだって。
 




