二百五十六 玲那編 「星谷さんの意見と現実」
絵里奈が、沙奈子への影響を極力小さくするために、絵里奈が借りてる部屋で玲那と一緒に住むという話も、山仁さんのところでさせてもらった。
山仁さんは、僕たちが決めたことなら自分としては口出しできないと言ってくれたし、波多野さんや田上さんはどうしたらいいのか分からないということだったけど、星谷さんは少し不満そうだった。
「私としてはどうして沙奈子さんにそれほどの負担を掛けないといけないのかという点で、必ずしも賛同しかねます」
星谷さんが気にしている点は大きく分けて二つ。
一つは、僕が仕事から帰ってくるまで沙奈子が家に一人になってしまうこと。山仁さんのところで僕が迎えに行くまで待ってるということも考えられるけど、そうなると夕食やお風呂までお世話になることになってしまう。山仁さんはそれでも構わないと言ってくれてても、何年もということになるとさすがに迷惑の度合いが大きくなりすぎる。
もう一つは、そこまで沙奈子に負担を掛けても、絵里奈が仕事に行くなら結局は玲那が一人になってしまう時間があるということ。それだとせっかく寂しい思いをさせてまで沙奈子と玲那の両方を守ろうとしても、やっぱり完全じゃなくなってしまう。それならいっそのこと四人で一緒に住むようにして、マスコミや嫌がらせにどう対処するかという点を考えた方がいいんじゃないかっていうのが星谷さんの意見だった。
その時点では僕もそれとほとんど同じ意見だった。
そこまで言われてさすがに絵里奈も「そうですね…」と少し自信なさげになってしまった。ただ、その時、
「マスコミや嫌がらせって、そんな簡単に防げないと思うよ…」
と苦し気に吐き出すように言ったのは波多野さんだった。お兄さんの事件でマスコミが押し寄せた上、ネット上に個人情報が晒されて、家に嫌がらせの電話が掛かってきたり脅迫めいた郵便物まで届くようになったということだった。しかも、波多野さん自身、学校でもあまりいい状態とは言えないらしい。学校側は気を遣ってくれてるみたいだけど、中には厳しい目を向けてくる生徒もいるということだった。
「正直、イチコやフミやピカがいてくれてるから何とかなってる感じだけど、かなりしんどいよ……」
そう言われると、玲那との直接の関係が公になってない今の状況からあえて沙奈子を巻き込むというのも決して良い選択とは言えない気もする。星谷さんも、波多野さんの家のことでは有効な対策を取れてない現実があって、唇を噛んでうなだれてしまったのだった。そういう姿を見ると、やっぱりまだ高校生の女の子なのかなって気もした。
いくら弁護士を立ててマスコミとかの対応に当たってもらっても、姿を隠して攻撃してくる人間の嫌がらせまでは完全に防げない。脅迫されたら逆に刑事告訴できても、それだけ騒ぎが大きくなってしまう。
本当に、どうしたらいいんだろう…。
どっちに進んでも苦しい道しかないというのが実感だった。家族が罪を犯すというのはそういうことなんだって改めて感じた。
結局、この日は結論が出ず、その件についてはやっぱり保留ということになった。とにかく玲那が帰ってきてからっていうことで。ただ、正直僕も、波多野さんの状況を知ったことで絵里奈の考えに傾きつつある自分を感じてた。沙奈子に寂しい思いをさせるとしても、それは、絵里奈と玲那が来る以前の状態に戻るだけとも考えられるからだった。そういう風に捉えれば、とりあえず平穏ではいられるかもしれない。沙奈子が一人になることも、もしかしたら秋嶋さんたちの協力が得られれば何とかなるかもしれない。山仁さんや星谷さんと比べるとまだ完全には信じ切れない部分もありつつも、いずれはどうしても頼らざるを得なくなることも出てくる気もする。
三人で家に帰って、沙奈子と絵里奈がお風呂に入ってる間、僕は一人で考えていた。
もし、一人で留守番しててもらうことになる場合は、その間はずっとビデオ通話を絵里奈や玲那と繋いでおいてもらうことにしたらどうかなと思った。玲那が仕事を見付けられなくて部屋にいるとしても、沙奈子が学校から帰ってきたら玲那とビデオ通話しておいてもらえたらいいんじゃないかな。
ほとぼりが冷めるまでどのくらいかかるか分からないけど、玲那の事件だってそのうち誰も思い出さなくなると思う。自分から口にしたりしなければ気付かれなくなるようになるかもしれない。今回の事件って、世間から見たらそんなにすごく印象の強い事件じゃない気もする。刺されたお父さんは亡くなってないし、こんな風に言ったら不謹慎だというのは分かっててあえて言わせてもらうとすれば、些細な事件なんじゃないかな。
もちろん、人を傷付けたことは許されないことだと思う。だけど玲那はその罪を背負う覚悟をしてる。罰を受ける覚悟をしてる。それが済めばもう、過去のことにしてもいいんじゃないかって気がする。だって、玲那自身も苦しめられてきたんだから。もう十分、苦しんできたはずなんだから。
沙奈子と僕、絵里奈と玲那、それぞれ慎ましく生きて、時間が過ぎるのを待とう。そして今回の嵐が過ぎ去ったら、その時は改めて一緒に暮らそう。そういう形もありなのかもしれない…。
そうなるとまた、回り道をすることになるんだな。でもそれは仕方ないのか。それに、回り道をしたっていずれ合流できるんなら、慌てず歩いていけばいいんじゃないかな。
…なんて、まだ裁判どころか取り調べだって始まってもないのにあんまりそんなこと考えても仕方ないか。考え過ぎるのは僕の悪い癖かもしれない。
そうさ、だって今日は玲那が目覚めてくれた日なんだ。それを祝えばいいよな。だから沙奈子と絵里奈がお風呂から上がって僕もお風呂に入ってから、三人でぎゅっと抱き合った。玲那が目覚めてくれた日おめでとうってことで抱き合った。そしたら沙奈子もまた笑ってくれた。
この子のおかげで僕たちは集まった。集まったからこんなことに巻き込まれたとも言えるかもしれなくても、だけど失いたくない大切なものが手に入ったことも事実なんだ。死んでないだけで生きてるとも言えなかった僕の人生に、生きよう、頑張ろう、この苦しみに負けたくないって思える気持ちを与えてくれたことも事実なんだ。
何かを手に入れるためには試練があるということだとしても構わない。この先にあるものを僕は手に入れる。そのためには負けてられない。ようやく手に入れた家族をより確かなものにするために、僕は引き下がらない。
沙奈子、玲那、絵里奈。これからも大変なことはたくさんあると思うけど、僕は諦めない。いくら遠回りをすることになってもいくら時間がかかっても、見捨てたりしないよ。
ふと、厳しい眼差して玄関を見詰める兵長の人形が目に入った。これまでと何も変わらない固い意志を感じさせるその姿に、
『諦めるなよ。お前が諦めたら家族がバラバラになるぞ』
と言われたような気がした。だから、
『僕は、決して玲那を見捨てません』
って、人形に対しても誓ったのだった。




