二千五百四十九 沙奈子編 「嘘の定義」
そうして玲緒奈に何冊も絵本を読んであげている沙奈子がどういう気持ちでそれをしているのかは、完全には僕には分からない。
『こうであってほしい』
という希望的観測はできてもね。
『ドールのドレス作りができないという現状を、玲緒奈の相手をすることで気持ちを切り替えて受け止めるように努力してる』
みたいに。
だけどそれが正しいという保証はどこにもない。こんなのは僕自身の願望でしかない。何より、大前提として沙奈子が僕を本当に信頼してくれてるかどうかについても、それを確かめる方法はないんだ。人間は嘘を吐くからね。
『相手の気持ちを慮り、自分の正直な気持ちを表に出さない』
というのも、実際には『嘘』だよね。
『事実じゃないことを相手に伝えようとする』
のを『嘘』と定義するなら。
そういう意味でも、人間は嘘を吐くし、嘘を吐かずに生きていくことはたぶん無理なんだろうなって思う。
ただ同時に、相手から見て、
『気持ちを慮るための嘘を吐きたいと思ってもらえる自分』
であることもまた、大事だと思うんだ。
『気持ちを慮ることもせず思ったままを言葉も選ばずに叩き付けて傷付けたっていい人間だと思われる』
のは、何より自分自身にとって結局は不利益なんじゃないかな。
だから少なくとも、沙奈子は僕を慮ってくれてるのは事実だし、そのために多少は本音を口にしない部分もあるんじゃないかなとは思ってる。僕だって、本音というか感情をそのままぶつけることをしたいとは思わないし、感情をそのままぶつけても構わない相手だとは、思ってない。思ってしまうような子じゃない。
沙奈子はね。
これも、やっぱりお互いがお互いに影響を与え合って、お互いにとって『傷付けていいとは思えない相手』になるのが大事なんだってのを示してるんじゃないかな。
一方的に慮ってもらえる、気遣ってもらえる、守ってもらえるのは、幼い子供のうちだけだと思うし、幼い子供のうちに周囲の大人がそれを手本として示すことで学び取ってもらう必要があると思うんだよ。
そういうのが一切関係なくて『本人の資質』だけでどういう人間に育つかが決まってしまうなら、『地域性』なんてものも存在するはずないよね?。その地域に住んでて周囲の人たちの影響を受けることで同じような感覚を身に付けていくからこそ『地域性』なんてものが出来上がっていくんだろうし。
沙奈子は、人間としてとても褒められたものじゃない人の実子で、その人の遺伝子を受け継いでいるけど、その人とはまったく違う考え方や生き方ができるようになってるはずなんだ。




