二千五百三十八 沙奈子編 「いざとなったら」
『とにかく自分のことだけを気遣っていて欲しい。自分を一番に考えてほしい』
沙奈子は、そんな風には考えていないんだ。少なくとも今の彼女は、千早ちゃんや大希くんや結人くんに、そこまでのことは期待してない。
だけどそれはたぶん、彼女の親である僕が、一番に考えることをずっとしてきたからだと感じる。
他の誰でもない沙奈子を一番に考えてきたから、それが彼女にも十分に伝わってきたから、心の余裕につながってきたんだと思うんだよ。
僕自身、血の繋がった実の親に、まるで家に勝手に上がり込んだ野良猫のように蔑ろにされてきた経験がある。だからこそ自分に心の余裕がなかった実感がとても強く強くある。
『自分をこの世に送り出した張本人にそこまで蔑ろにされてきてるのにどうして他の誰かを気遣わなきゃいけないんだ』
って、心の奥底では感じてきたのが分かる。
そう感じてしまうのは何も不思議なことじゃないと思うんだけどな。
実際、そうなんだよね?。
『自分はこんなにつらい思いをしてるのにどうして他人なんか気遣わなきゃいけないんだ?』
って思うから、他人を気遣えないんだよね?。
じゃあ、
『ちゃんと一番に思ってもらえてたというしっかりとした実感』
があったらどうだろう? 自分を一番に思ってもらえてた実感が確かにあったら、他の誰かが気遣われることについても、
『まあいいか』
で受け流せたりしないかな。自分が積極的に誰かを気遣うことまではできなくても、気遣われてることについて妬んだりしなくて済むんじゃないかな。
今の沙奈子は、まさにそれなんだと思う。
沙奈子をずっと膝に抱いて、彼女を受け止めて、受け入れて、他の誰よりも優先してきた。沙奈子自身がそれを実感として得て、満たされた気持ちになってもらえるまで。沙奈子自身が、
『もういいかな』
って思えるようになるまで、膝に抱いて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝てたんだ。
その結果が、今、ここに現れてると実感する。結人くんが琴美ちゃんを気遣ってても、それを妬んだりしないで済んでる。それは結局、
『いざとなったらお父さんに甘えたらいいから』
というのがあるからなんじゃないかな。それが心の余裕になって、落ち着いていられるんじゃないかな。
本来ならそれこそ幼いうちにその実感を得ておくべきだったのに、彼女の実の父親は、まったくそうしてこなかった。だから中学生になっても僕の膝に座ってたり一緒にお風呂に入ったり隣り合って寝るというのを続ける必要があったんじゃないかな。
あくまで『沙奈子の場合は』だけど。




