二千五百三十七 沙奈子編 「自分が一番」
そうなんだ。『生きる』というのは決して綺麗事だけじゃ済まない。
だって、生きるためには他の命を奪わなきゃいけないんだから。
どんなに理想論を語ってみせたって、優しさを説いたって、他の命の犠牲の上でしか、命は成り立たないんだよ。生きるということ自体が『エゴ』なんだろうね。
僕もそれは分かってる。分かってるからこそ、今の自分があるんだと思えるんだ。そうじゃなきゃ、自分自身に絶望して、何もかも捨てたくなってたかもしれない。自分の命さえもね。
綺麗事の行き着く先は、最終的には『自己否定』なんじゃないかな。
でもね、だからこそ、自分が生きたいなら他の人が生きることそのものを許さなきゃ駄目なんだと思う。それは綺麗事じゃなく、ある種の『取引』なんじゃないかな。
それを、『優しさ』みたいな言い方で表現しようとするから、逆に分かりにくくなるんだという気がする。
『優しくもない、優しくもしてくれない相手に優しくするなんておかしい!』
という気持ちになってしまったりもするんじゃないかな。
そうじゃなくて、自分以外の誰かが存在することを、ただ認めればいいだけなんだと思うんだよ。
『優しくする』のは、優しくしたいと思える相手だけでいいんじゃないかな。
優しくすると言うか、『気遣いたい相手』と言った方がいいかな。
結人くんにとっては、沙奈子も琴美ちゃんも同じように気遣いたい相手なんだよ。
そしてそれは、沙奈子や一真くんが、結人くんにそう思ってもらえる接し方をしてこれたからなんだ。
結人くんの度量に一方的に頼っているわけじゃない。
彼と琴美ちゃんと一真くんのやり取りを、沙奈子も穏やかに見守ってくれていた。
『今は自分のことを気にしてほしい』と、『自分だけを気遣ってほしい』と、そんなことを要求するわけでもなく。
確かに今回は沙奈子にとって大変なことがあったわけだけど、沙奈子のことを何より優先するべきだと感じるかもしれないけど、今の彼女はそこまで精神的に余裕がないわけじゃないんだ。
結人くんが琴美ちゃんを気遣ったくらいで機嫌を損ねなきゃいけないくらいに追い詰められてるわけじゃないんだよ。
だけど世の中には、とにかく自分のことばかりを最優先に考えてほしいと望む人もいるよね。誰よりも自分が気遣われなくちゃ気が済まないっていう人が。
だけど、『それはどうしてなんだろう?』って 僕は感じるんだ。どうして自分が一番じゃないと許せないんだろう?。
どうしてそんなに余裕がないんだろう?。
不思議だよね。




