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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二千五百二十二 沙奈子編 「承認欲求の発露」

『どうしてすぐに教えないんだ!?』


みたいに憤る人もいるかもしれないけど、どうして自分にできることはほとんどないようなことをすぐに教えてもらえなかったからってそんなに感情的にならなきゃいけないんだろう。それが自分にとってどんな不利益になるって言うんだろう。


それを知ったからといっていきなり病院に押しかけたりしてもむしろ迷惑になるだけなんじゃないかな。


それとも、迷惑とかそんなのはどうでもよくて、


『こんなに自分は心配してあげてるんだ』


というのをアピールしたいだけなのかな。


どうしてそんな風に考えるようになってしまったんだろうね。


相手のことを本当に思うなら、自分の行動が相手にとってどういう結果をもたらすのか、しっかりと考えるべきだと思うんだけどな。


どんなに善意のつもりでも、相手に迷惑がかかってしまっていたら、それはむしろマイナスなんじゃないのかな。ただの自己満足以上の意味はないんじゃないかな。


僕がこれまで見てきた千早ちはやちゃんや大希ひろきくんや結人ゆうとくんや一真かずまくんは、そういう自己満足を得たいだけの子たちじゃないと感じるんだけどな。


篠原さんは、そういうことで感情的になりそうな印象もないわけじゃないけど、以前はそういう印象も確かにあったけど、今ならきちんと説明すれば分かってくれそうな感じはする。


そういうところも、


『人間は変われる』


というのを表しているんじゃないかな。


何より、それで感情的にならなきゃいけない理由が、千早ちゃんたちにはないんだよ。今の時点で事情を教えてもらえないからといって、


『自分が蔑ろにされている』


と考えなきゃいけない理由がないんだ。


むしろ、どこにその理由があるの?。


自分の言葉に耳を傾けてくれる人に囲まれて、自分の気持ちに寄り添ってくれる人に囲まれて、自分が大切にされている実感があって、その上で自分の思い通りにならないことがあったからって、そんなに強く感情的にならなきゃいけないかな?。


それで感情的になる人は、やっぱり自分の存在をきちんと認めてもらえている実感がないんじゃないのかな。その実感がないから、 何かいいことに思えるような行いをして誰かに認めてもらいたいと考えるんじゃないのかな。


だけどそれは多くの場合、逆効果だと思うんだ。『善意の押し付け』は、実際には善意じゃない気がする。


自分を誰かに認めてもらいたい。褒めてもらいたい。結局は承認欲求の発露でしかないと感じるんだ。


だからもう十分に認めてもらえている実感がある人には関係がないじゃないかな。



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