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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二百五十二 玲那編 「おかえり」

「玲那…」


僕ももう、それ以上は言葉にならなかった。勝手に涙が溢れてきて、胸が詰まって、声が出なかった。


そんな僕たちに向かって玲那は、ベッドのシーツの上に置いた両手を動かして、何かのジェスチャーをした。それはスマホを操作するジェスチャーだと思った。


僕はピンと来て、自分のスマホを、ロックを解除して彼女に手渡した。するとそれを受け取った玲那がスマホを操作して、その画面を僕たちに見せた。


『おはよう。ごめんね』


画面にはそう書かれてた。


「玲那ぁ……」


絵里奈はもう我慢できなかったのか、玲那に縋りつくみたいにして抱き付いて泣いた。僕も二人きりだったらそうしてたかもしれない。


沙奈子も玲那のパジャマを掴んで、ぴったりと寄り添っていた。笑顔で迎えてあげなきゃと思ってたけど、さすがに無理だった。それでも何とか笑顔を作ろうとはした。


でもしばらくして少し落ち着いてきて、僕は思った。玲那はどうしてこんなに落ち着いていられるんだろうって。あんな事件があって、目が覚めたら喋ることも出来なくなってて、それなのに取り乱す様子もないなんて……。


そんな僕の疑問に、玲那はメッセージアプリを使って、ベッド脇に座った絵里奈のスマホとやり取りする形で答えてくれた。


事件の詳細についてはもう少し気持ちを整理してからってことだったけれど、どうしてこんなに落ち着いてられるのかって言ったら、それは意識を失ってるように見えてても、実は音や声についてはかなりの部分で聞こえてて、自分の状況についてはある程度は理解できてたということだった。脳と体の回路が繋がってないみたいに目は開けられないし体も動かないけど頭の中ではいろいろ考えてて、やっぱり最初はショックも受けてたそうだった。


『ホントは、どうして助かってしまったのかって思った…。あのまま死んでしまえればって思った…。


…でも、絵里奈や沙奈子ちゃんやお父さんの声が聞こえた時、やっぱり死にたくないって思っちゃった。こんな迷惑を掛けちゃってちゃんと謝りたいって…。


ごめんね…、本当にごめんなさい……』


メッセージアプリに次々と表示される玲那の言葉が、僕の胸に刺さるように届いた。喋ってないはずなのに、玲那の声まで聞こえてくるような気がした。泣きそうな顔でスマホの画面を見詰める玲那に、僕は静かに言った。


「ううん。謝らなくちゃいけないのは僕の方だ。僕がもっと早く玲那の昔のことを聞いてあげられてたらこんなことにならなかったってやっぱり思った。僕に玲那のことをしっかり受け止めてあげられる勇気があれば行かせなかったと思う。ごめん、玲那……」


その言葉にハッとなって僕を見た玲那の目から、ポロポロと涙がこぼれてた。


『お父さん…』


そう動かした玲那の口から出てきたのは、声じゃなくてただ息が漏れる音だった。だけど僕の耳には確かに『お父さん』って聞こえた。


僕も、流れる涙を拭くこともできずに応えた。


「玲那が帰ってきてくれた。それだけで僕は満足だよ。こんなに嬉しいことはない……」




だけど僕たちは、玲那が帰ってきてくれた余韻にいつまでも浸っていることもできなかった。彼女の意識が戻ったことが分かったら警察も話を聞きに来るだろう。そこで僕は、弁護士の佐々本ささもとさんに玲那の意識が戻ったと電話を掛けた。すると佐々本さんは、


「分かりました。すぐ私もそちらに行きます。もし警察が来ても、弁護士が来るまでは会わせられませんと突っぱねてください。今の玲那さんの状態では一人で警察に対応するのは無理のはずですから」


と言ってきた。僕も玲那一人で警察の相手をさせたくなかった。それからしばらくすると案の定、警察が来た。僕と絵里奈が話を聞かれた権藤ごんどうっていう刑事さんだった。『任意で話をお聞きしたい』と言われたから、


「弁護士が来るまで待ってください。それが無理なら今日のところはお帰りください」


ときっぱりと言った。任意での聴取ということだから本来は断ってもいいということだった。けれど、以前の僕ならとても言えそうにない言葉だった。なのに玲那のためだと思ったら自分でも驚くぐらいに堂々とそう言えた。


権藤さんは苦笑いを浮かべながら「困ったな…」と呟いた。なるべく穏便に済まそうとはしてるみたいだけど、その目は決して笑ってなかった。これが刑事の目というものかと思った。


でもその時、ちょうど佐々本さんが到着した。権藤さんは明らかに嫌そうな顔をしながらも、「まあいいでしょう」と言って、先に玲那と佐々本さんとで顔合わせした後で話を聞くということに応じてくれた。


そこで、僕と佐々本さんと玲那の三人でまず挨拶を交わして、受け答えするための手順を簡単に確認して、僕だけ病室を出て代わりに権藤さんたちに入ってもらった。基本的には筆談でということになった。


その間、僕と沙奈子と絵里奈は、病室が見えるところのソファーに座って待った。沙奈子はさすがに不安そうだったから、僕の膝に抱いてぎゅっと抱き締めてあげた。絵里奈も僕にもたれかかるように座ってた。


話は、玲那の体調のことも考えて三十分ほどで終わった。今日のところは、事件当時の状況を簡単に聞くという程度のことだったらしい。本格的な聴取はもう少し回復を待ってからということだった。


警察が帰ってから、僕たちはまた玲那の病室に戻った。心配してたほど彼女の様子は変わってなかった。佐々本さんが付き添ってくれたからかも知れない。


それから後、病院の方から話があった。意識が戻ったので、できるだけ早く転院か退院して欲しいということだった。マスコミが何とか取材しようとしてうろついてて、それに対処しなければいけないというのも負担になってるらしい。そう言われるとこっちとしても申し訳ないって気がしてくる。


とは言え今日は、玲那が帰ってきてくれたことを喜びたかった。そこで僕は売店でサンドイッチとかお弁当を買って病室でお昼にした。玲那には病院の方から具の無いほとんどお湯みたいなスープが出た。ここまで何度か白湯を口にして、液体なら大丈夫らしいという判断らしかった。


傷は塞がってはいるけどまだ少し痛みがあるそうで、飲みこむ時は辛そうだった。傷を隠す意味もあって喉にはガーゼが当てられてて、その向こうにどんな傷痕が残っているのかと思って胸が痛んだ。


それでも、玲那はこうして僕たちのところに戻ってきてくれたんだ。今はそれだけで十分だ。これからもっと大変になるのはそうだとしても、それもいつかは、どういう形であれ決着はつく。決着さえついてしまえば、後は今まで通りに身を潜めて慎ましく生きていけばいい。それ以上は何も望まない。まあとにかく…、


おかえり、玲那。


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