二千五百十五 沙奈子編 「望むところかな」
『山下典膳さんは、僕の兄の『山下萃』じゃない』
僕はその確信を改めて得たことで、何も心配は要らないと思った。あとは沙奈子がこのことをどう考えて感じるかというだけだ。
だって沙奈子にとっては、自分を虐げてきた実の父親を思い起こさせる相手ということになるからね。典膳さんにはなにも悪いところはなくても、責任はおろか過失すらなくても、人間の心理というのはそんな簡単に割り切ってしまえなかったりするし。
もしかすると、ドールのドレス作りにも影響が出るかもしれない。典膳さんのドールのためのドレスを作ることにモチベーションを維持できなくなったりすることだって、ないとは言えないだろうな。
万が一そんなことになっても、それが原因で『SANA』の経営が立ち行かなくなっても、その時はその時だ。沙奈子はまだ高校二年生。多くの人は高校を卒業して、それから大学に通ったりして、その後で就職って形だったりするだろうから、そこまで僕がさらに扶養することになっても、それはそれで構わないと思う。むしろ、沙奈子が僕の扶養から外れることに対してちょっと寂しさもないわけじゃなかったから、ある意味じゃ望むところかな。
もちろん、ドールのドレスのデザイナーとしての仕事を失うようなことがあってほしいわけじゃない。わけじゃないんだけど、矛盾した気持ちを持ってしまうのも、人間という生き物だろうからね。
だから僕は、言ったんだ。
「山下さん。今回のことは山下さんにも典膳さんにも責任はないことです。ただ、他人の空似ではあったとしても、沙奈子にとって実の父親は、彼女の人生そのものを滅茶苦茶にしようとした張本人なんです。それを強く思い起こさせることは、彼女の創作活動に少なからず影響を及ぼす可能性はあるでしょう。もしもその時には、あの子を許してくださいますか……?」
これは、僕の、
『沙奈子の親としての覚悟』
だった。このことでドレスの供給ができなくなって、それで損害が生じた時には、その損害賠償が請求されたとしても仕方ないというね。損害賠償を行う代わりにあの子を責めないであげてほしいという気持ちでもある。
けれど、そんな僕に山下さんは、
「もちろんです。『創作』というのは、大変にデリケートで微妙なバランスの上で成り立っているものだというのは、私にも痛いほど分かります。山下もそうでした。些細なことでドール制作のモチベーションを失ったりして、これまで何度も引退を考えたくらいですから」
って。




