二百四十九 玲那編 「二人だけの買い物」
沙奈子と一緒にバスに乗って家に帰る途中、ちょうど降りるバス停に近付いたところで僕のスマホに着信があった。星谷さんだった。
「ごめん、今バス停に着いたところだから、すぐ行くよ」
そう言いながらバスを降り、沙奈子と一緒に少し早歩きでアパートへと戻った。すると玄関前に星谷さんと大希くんと千早ちゃんが待ってた。
「ごめんごめん。待たせちゃったかな」
僕が頭を下げながら言うと、星谷さんは首を横に振りながら、
「いえ、私たちも今来たところです。お見舞いに行くということでしたので念の為に確認させていただきました」
と、本当に高校生とは思えないしっかりした答えを返してくれた。その横では、
「沙奈ちゃ~ん!」
って、いつもの感じで千早ちゃんが沙奈子に抱きついて、その様子を大希くんが見守ってるという光景が展開されていた。
それにしても、こう毎週毎週ホットケーキで飽きないかと僕も少し心配してたりするんだけど、千早ちゃんにしてみればこの時間が楽しくてそれを目当てに来てるっていうのもあるから、飽きるとかそういう問題じゃないみたいだった。しかも星谷さんが言うには、
「最近、千早が家で家族にホットケーキを焼いてあげてるそうです。その評判が良くて、少し、家庭内の雰囲気も良くなってきてるようです。母親にも初めて褒められたと言ってました」
だって。そうなんだ。それは良かった。もしこれがきっかけで家族の仲が少しでもいい方向に向かうなら、こうやってホットケーキ作りをしてきた甲斐もあるっていうものじゃないかな。僕としても、そのための場を提供してきたことが報われる気がする。直接じゃなくても、間接的にでも役に立てた気がして嬉しかった。
それと今日は、子供たちの分はいつも通り子供たちで焼くとして、僕と星谷さんの分は星谷さんが焼いてくれることになった。
「私もヒロ坊くんや千早に負けてられませんから」
ということらしい。そこは僕も正直、沙奈子に負けてられないなとは思いつつ完全に差をつけられてしまった気がしてた。星谷さんみたいにちゃんと行動に起こさないとダメだなあと、大人として気恥ずかしくなった。
でもやっぱり料理はどうもなあ…。
だけどそんなことばかり考えてる訳にいかないという事情も僕たちにはあった。カセットコンロに乗せたフライパンでホットケーキを焼きつつ、星谷さんが言った。
「本日夕方、玲那さんの事件を担当してくれる弁護士がこちらに来る手筈になっています。そこで詳細について打ち合わせをしていただければと思います。ちなみに女性ですが、能力については保証します」
そう言われて、僕は恐縮してしまった。本当に何から何までお世話になりっぱなしだと思った。
「すいません。本当に何から何まで……」
ますます大人として肩身が狭い思いがした。けれどそんな僕に、星谷さんはきっぱりと言った。
「山下さんは山下さんでご家族を守るために立派にやってらっしゃいます。ご家族一人一人に目を配り、心理的な面で支えとなっているのは私の目から見ても確かだと思います。それは私にはできないことです。私は私にできることをやっているに過ぎません。そしてそれは、ヒロ坊くんの友達である沙奈子さんを守りたいという私の個人的な欲求を実現するために行ってることです。山下さんは何も負い目に感じる必要はありません」
…もう、言葉もなかった。どうしてこの人は、こんなに立派なものの考え方ができるんだろう。まだ高校生だよね?。大人でも、ここまでのことをしっかりと考えて言える人って、そんなにいない気がする。と言うか、山仁さんたちに出会う以前には、僕の周りでそんな人、見たことないよ。とにかく住む世界が全然違うっていう気がしてしまう。
僕はやっぱり、星谷さんほど立派にはなれそうもない。だけど星谷さんが言ってくれたみたいに、僕の家族の心を守れるのは僕しかいないっていう気も確かにする。だって、他の人はそこまで僕の家族のことを知らないんだから。本人のことを知らなくちゃ、その人が何を考えててどういうことに苦しんでてどう支えてあげるのが一番なのか分からないよね。
僕には僕のできること、星谷さんには星谷さんのできることがあって、それぞれがその中で努力をする。それが大事なんだって言われてる気がした。
そういう想いに胸がいっぱいになるのを僕が感じてる間にも、ホットケーキは焼き上がった。そしてみんなでそれを食べて、僕たちはお腹も満たされた。
それだけじゃない。大希くんと千早ちゃんが帰り際、沙奈子に言ってくれた。
「沙奈子ちゃん。お姉ちゃんが早く元気になってくれたらいいね」
「沙奈ちゃん。私、沙奈ちゃんのことおうえんするよ。がんばって」
ああ…、この子たちはこんなに優しくて温かいのに、世の中の大人たちはいったい何をしてるんだって思う。僕も大人の一人として本当に恥ずかしい。この子たちに顔向けできないよ。
星谷さんたちが帰って、僕と沙奈子は久しぶりに二人きりになった。午後の勉強を済まして、それから二人で自転車に乗って買い物に行った。玲那がチェーンの鍵のスペアを置いていってくれてたから、僕の自転車と繋がれた3代目黒龍号のチェーンを外すことができた。そうして自転車置き場に残された3代目黒龍号を見るとつい込み上げてくるものがある。
そんな気持ちを振り切って行った買い物で、でも絵里奈がいないから何を買えばいいのか分からなくて、とりあえずミネラルウォーターと朝食に使えそうな鮭の切り身とホットケーキミックスと念の為に冷凍食品をいくつか買ってスーパーを出た。
帰り道、最近はずっとみんなで歩いて帰った道を沙奈子と二人で自転車で帰ってる事実を思うと、また胸が締め付けられるような気分になってしまった。どうしてこんなことになってしまったんだろうって思いそうになって、それを敢えて無視してやり過ごす。僕の後ろを自転車でついてくる沙奈子にも笑顔はない。
だけど嘆いてたって状況は変わらない。僕たちはこれからも生きていくんだ。毎日を過ごしていくんだ。負けてられない。そう自分に言い聞かせる。
家に帰って荷物を片付けても、弁護士さんが来るっていう時間までは二時間ほどあった。そこで僕は絵里奈にメッセージを送った。
『今からまた玲那に会いに行こうと思うけど、大丈夫かな?』
一分とかからず絵里奈からの返事が来て、
『大丈夫です。玲那もきっと喜びます』
ってことだったから沙奈子に「お姉ちゃんに会いに行く?」と聞くとすぐに大きく頷いて、僕たちはすぐに家を出てバスに乗った。
病室に入ると、玲那は相変わらず落ち着いた様子で寝ていた。それを見ると僕もホッとした。
「玲那とたくさん話をしました…。聞こえてるかどうか分からないですけどね」
絵里奈がそう言って、少し寂しそうに笑ったのだった。
 




