二百四十八 玲那編 「一般病棟」
どっちが凶悪とか僕にはどうにも判断できないけれど、星谷さんのいうことが確かなら、僕も玲那の実のお父さんの方が許せないとは思ってしまう。ただまだ確定した情報じゃないのなら、迂闊なことは言わない方がいい気もした。それに星谷さんも、刑事さんからオフレコで聞いたとかいう話を僕たちにしていいんだろうか?。その刑事さんに迷惑が掛かったりしないだろうかというのは気になってしまった。その辺りはまだ、子供っぽい思慮の足りなさって感じもする。
絵里奈もその話をどこまで信じていいのか困惑してるのが見てて分かった。ここで絵里奈に感情的になられたら僕もどうしていいのか分からなかったけれど、まだどうやら冷静でいられてるようで正直ホッとした。
それでも、今回の事件は僕が思ってた以上に複雑な事情が絡まり合ってるのは確かな気もした。そんな中に玲那はずっといたんだな。もっと早く気付いてあげられてたら…。
って、いまさらそんなことを言っても始まらない。玲那が帰ってきたら抱き締めてあげよう。沙奈子にしてるのと同じように。僕が感じてた、沙奈子と同じくらいかむしろ幼いくらいの頃からあの子の中で時間が止まってるような気がしてたのはやっぱりその通りだったんだっていうのも改めて感じる。だったらそれを埋め合わせてあげたい。僕があの子の時間を進めてあげたい。僕があの子を育ててあげたい。
その気持ちを新たにして、この日は解散ということになった。僕たちが家に帰る時、星谷さんが千早ちゃんを家に送るために、田上さんが家に帰るために一緒に山仁さんの家を出た。波多野さんはまだ家には帰れないらしい。いや、帰りたくないんだろうな。
その気持ちも分かる気がする。僕ももし沙奈子がいなかったらもっとゆっくりしてたかったと思う。僕たちが一人じゃないってことを感じさせてくれるから。でも、沙奈子にとってはあくまで友達の家だからか、どこか遠慮があるのも感じてた。楽しいのは楽しいけど、リラックスはし切れてないのが伝わって来る。だから沙奈子のためにも家には帰らなきゃ。
「じゃ、また明日ね」と、星谷さんたちと別れて僕たちはアパートへと歩き出した。明日もみんなで集まるということで、僕たちもまた顔を出すことになった。
「本当に、励まされますね…」
絵里奈がしみじみという感じでそう呟いた。「そうだね」と僕も応えた。これで挫けてちゃそれこそ玲那に顔向けできない。沙奈子に対しても立つ瀬がない。頑張らなくちゃと気合が入る。
家に帰って沙奈子と絵里奈はお風呂に入って、僕はその間にいろいろと気持ちの整理をした。玲那の実のお母さんが亡くなった経緯にもし事件性があるのなら、いろいろまた考えなきゃいけないことが出てくるかもしれない。そうだ、たとえ玲那が事件を起こしたことが同情を集めるものになったとしても、実のお父さんがお母さんを殺した犯人だなんて、どっちに転んでも玲那にとっては辛いことに変わりはない気がする。加害者であり被害者であり遺族とか、もう何が何だか分からない。はっきり言って滅茶苦茶だ。
本当に、どうしてそんなことになってしまったんだろう…?。玲那の実のお父さんは何を間違えてそんなことになってしまったんだろう…?。沙奈子の父親である僕の兄もそうだけど、どうして自分の子供に酷いことができるんだろう。
僕は、ただ沙奈子を幸せにしてあげたい、悲しませたくない、苦しめたくないって思うだけで、そんなことしようという気にもなれない。それなのに、玲那の実のお父さんも、僕の兄も、それすら考えなかったいうことなのかな。どんな家庭で育ったら、どんな人生を送ってきたらそうなってなってしまうんだろう…?。僕の兄がどんな風に育ってきたかは間近で見てきたから分かる部分もあるけど、他の人はどうなんだろう。僕はそれが怖い。
山仁さんは、全然そうじゃない。イチコさんや大希くんの様子を見てるだけで分かる。二人ともとても大切にされてるっていうのをすごく感じる。山仁さん自身を見てても分かる。山仁さんはちゃんと子供たちのことを見てる。子供たちの言葉に耳を傾けて、二人を人として扱ってる。自分の言うことに無条件に従うのが当たり前の家来とか奴隷とかロボットみたいに扱ってない。そういうのが伝わって来る。僕も、そうありたいと思う。沙奈子の言葉に耳を傾けて、沙奈子の顔を、目を、ちゃんと見て話したいと思う。
それと同じことを、玲那にもしてあげたい。あの子の話に耳を傾けて、目を見て、ちゃんと一人の人として扱ってあげたい。そうすることがあの子の止まってた時間を動かすことになる気がする。
玲那…、僕たちは待ってるよ。玲那が帰ってくるのをいつまでも待ってる。今、僕の膝に玲那がいないことがものすごく寂しい。だから早く帰ってきてほしい。玲那……。
沙奈子と絵里奈が上がった後で、僕もお風呂に入った。ゆっくりと温まって体の中にたまった嫌なものをすべて湯に溶かし出したいって思った。
お風呂から上がっていつものように沙奈子を膝に座らせて寛いだ。沙奈子も莉奈の服作りを再開してた。笑顔までは取り戻せてないけど、落ち着いてきてるのは分かった。
そして10時過ぎにはまた、三人で固まるようにして僕たちは眠ったのだった。
翌日日曜日。いつも通りに、でもちょっと早めに沙奈子の午前の勉強まで終わらせて、僕たちは玲那のお見舞いに行った。すると玲那は一般病棟の個室に移されてた。状態は落ち着いて経過もいいので、後は意識が戻るのを待つだけだと言われた。
「玲那…」
絵里奈がそう呟きながら彼女の頬に手を当てて言った。
「あたたかい…。良かった、玲那はちゃんとここにいるんだってやっと実感できた気がする…」
それは僕も同じだった。少し痩せたようにも見えるけど、頬にもしっかり赤味が差してて命を感じさせた。本当にただ眠ってるだけにも見えた。もし眠ってるだけなら、どんな夢を見てるんだろうと思う。落ち着いた穏やかな表情をしてるから、少なくとも辛い夢は見てないんだろうな。
「おねえちゃん。がんばって…」
沙奈子が玲那の顔を覗き込みながらそう言った。それを見た途端、込み上げてきてしまってダメだった。絵里奈ももうポロポロ涙をこぼしてた。だけど、ほんの少しだけど、玲那との距離が縮まった気がした。僕たちの傍にまで来てくれた気がした。
「ごめんなさい。今日はもう少し玲那の傍にいていいですか?」
絵里奈がそう言うから、僕と沙奈子だけで先に家に帰った。実は今日も、千早ちゃんがホットケーキを作りに来るんだ。なるべく普通の日常を送ろうっとことでそう決めたんだ。でも、僕たちよりもずっと長く玲那と一緒にいた絵里奈にとっては、せっかくの時間だもんな。それはぜんぜん構わない。
沙奈子も分かってくれてたのだった。




