二千四百七十六 沙奈子編 「つけあがったり」
四月八日。土曜日。曇り。
たとえ他に同じ仕事ができる人がいくらでもいるとしても、その仕事を引き受けてくれる人がいなければ、それは『できる人がいない』のと同じだと僕は感じる。
だからこそ馬鹿になんてできないし、ちゃんと労わないといけないと思うんだ。
『優しくしてるばかりじゃ社会がおかしくなる』
みたいに言う人がいても、『かつて厳しくされてきた人たち』が実際に何をしてるかを見れば、決して『昔はよかった』わけじゃないのが分かるよ。それは結局、『昔はよかったと思いたい人がいる』だけなんだろうな。
僕にはその実感しかない。
なにより、『相手から優しくされただけでつけあがる人』がいるのはなぜ?。そういうタイプの人を両親に持つ一真くんは、僕たちが気遣ってもつけあがったりしてないよ?。それどころか、ますます真面目そうで誠実そうな印象になってきてると感じる。これは、
『彼が自分の両親を反面教師にできるだけの他の手本がある』
からだと思うんだ。僕たちは彼にそれを示すことができてるという実感がある。具体的に比較できる対象がなくちゃ反面教師にするのさえ難しいんじゃないかな。できないんじゃないかな。だって、実感できる比較対象がなくちゃ、どんなにひどい親だって子供にとっては『それが普通』『親ってそういうもの』『人間ってそういうもの』ということしか学び取れないんじゃないかなって思うし。
一真くんにできてる、
『優しくされたからってつけあがったりしない』
というのができない人がいるのはどうして?。どうしてそんな風になっちゃったの?。
そして、『優しくされたらつけあがるような人』は、厳しくされたからって本当にちゃんとできるようになるのかな?。厳しいことを言ってくるしてくる人の目が届いてる時にはちゃんとしてるようにしてみせても、目が届かなくなったら本当にちゃんとしてるのかな。してる人はどうして『ちゃんとしてる』のかな?。
『怒られるから?』
『責められるから?』
それ以外の理由ではちゃんとしないの?。一真くんは、僕たちが怒ったりしなくても責めたりしなくても、真面目にやろうとしてくれてるよ?。それはなぜ?
彼にとってはそうしたいと思える状況だからじゃないかな。
僕はそう思うんだ。そしてそれは、沙奈子や千早ちゃんや大希くんや結人くんにとっても同じ。『優しくされてもつけあがったりしない』し、怒ったり責めたりしなくても真面目にやろうとしてる。人生部の活動に真摯に向き合ってくれてる。
それは事実だよ。
 




