二千四百六十七 沙奈子編 「表裏一体」
三月三十日。木曜日。晴れ。
怒鳴ったり罵倒したり嫌味を言ったり暴力を振るったりしなきゃ仕事をしない人も確かにいるのかもしれない。だけど、相手がそういう人なのかどうかが分かるにもそれなりに時間が掛かるよね?。
単に不器用だったり、要領が悪かったり、仕事を覚えるのが苦手だったりして、慣れるのに時間が掛かる人だっているはずなのに、ほんの数回くらい様子を見ただけで、
『こいつは怒鳴って罵倒して嫌味を言って暴力を振るわなきゃ仕事しない人間だ』
と決め付けるのは、それは『仕事ができる人のすること』なの?。
『自分の思い通りにならなかったら癇癪を起こす子供』
と同じじゃないのかな?。
『優しくしてるばかりじゃ社会がおかしくなる』
みたいに言う人もいるみたいだけど、職場で怒鳴られて罵倒されて嫌味を言われて暴力を振るわれてた頃の社会が本当に『おかしくなかった』の?。もしそうなら、その頃に現役だった人たちが高齢者施設でどうして礼儀正しく節度をわきまえた振る舞いができなかったりするの?。自分が自動車を安全に運転できなくなってるのに運転をやめようとしなかったりするの?。『他人様に迷惑を掛ける』ようなことをするの?。
『昔は良かった』ってことじゃなくて、単に、
『昔は自分にとって都合がよかった』
ってだけじゃないの?。
怒鳴ったり罵倒したり嫌味を言ったり暴力を振るったりするだけが『厳しくする』ってことじゃないと僕は感じてる。仕事なら当然、『査定』とかいった形で自分の仕事ぶりに対して評価が下されたりするんだから、そこで客観的な評価がされれば、それは『厳しくしてる』ってことじゃないの?。
『誰かに対して厳しくする』というのは、『自分を甘やかす』ことと表裏一体だと思う。それをわきまえないから、
『目上の人間に対しての礼儀がなってない若造を厳しく躾けてやるんだ』
とか考えて、職員に対して横柄で横暴で理不尽な態度を取る入所者がいたりするんじゃないの?。
『自分で危険を察知してちゃんと避けない方が悪い』
とか考えて、自分が安全に自動車を運転できないのに無理に運転を続けたり危険な運転をする人がいるんじゃないの?。
それって結局は『他人に厳しく自分に甘い』だけでしかないと思うんだけどな。
僕は大人として、そういうことについてもちゃんと考えなきゃいけないと思ってるんだ。それを沙奈子や玲緒奈に対して示していかなきゃと思ってるんだ。そして沙奈子は、『自分を甘やかすために他の人に対して厳しくする』なんてことをしないでいてくれてると思う。




