二千四百五十 沙奈子編 「誰にでもできる」
三月十三日。月曜日。曇りのち晴れ。
今日は寒い。寒の戻りみたいだね。
星谷さんは本当にすごい人だ。でも、だからこそ僕は自分に星谷さんと同じことができるとは思わないし、沙奈子にも彼女と同じことができてほしいとは思ってない。それに、星谷さんは会社運営はできても、『ドールのドレスを作る』ことはできないからね。『SANA』が存在できてるのは沙奈子が作るドールのドレスがあればこそだし、それは沙奈子がいなくちゃ有り得なかった。
世の中っていうのは、そういう形で成り立ってるはずなんだ。星谷さんみたいな人がいて、沙奈子みたいな人がいて、それぞれがそれぞれの役目をこなしてるからこそ成立してるはずなんだよ。だから、自分が星谷さんや沙奈子みたいなことができないからって卑屈になる必要はないし、『他の誰にもできないことができる』わけじゃなくても、『誰にでもできるようなことしかできない』としても、その『誰にでもできるようなことができる人』がいてくれなきゃ、やっぱりこの世と言うか社会は成り立たないと思うんだ。
『誰にでもできるようなことができる』だけだと、
『代わりはいくらでもいる!』
みたいに言われることもあるとしても、そんなのは『代わりはいくらでもいると言えるだけの人的余裕があればこそ』のものでしかないよね?。『労働力不足』や『労働者不足』が言われたりしてるのも、そういうことじゃないの?。『誰にでもできるような仕事』でも、それをしてくれる人がいなきゃどうにもならないよね?。だからこそ困ってるんじゃないの?。従業員が集められなくて経営が成り立たなくなった企業とかが出てくるんじゃないの?。
『誰にでもできるような仕事』なんだから、偉そうに言ってる人がやればいいのに、やらないんだよね?。できないんだよね?。自分にもやらなきゃいけないことがあるから。『自分にしかできない仕事』と『誰にでもできるような仕事』の両方を同時にすべてこなすことは、できてないよね?。それは星谷さんにさえできないことだよ。だから彼女はちゃんと、『自分じゃなくてもできること』については他の人に任せるようにしてるんだ。あれだけのことができてるのも、そうやって任せられることは任せてるからなんだろうな。
だったら、『代わりはいくらでもいる!』とか言って軽く考えることはできないと思うんだけど?。
イチコさんや田上さんが『SANA』でしてる仕事も、そんなに難しいものじゃないそうだ。でも、星谷さんも絵里奈も、『代わりはいくらでもいる』と考えてイチコさんや田上さんを軽んじたりはしてないよ。




