二千四百四十四 沙奈子編 「おかしいのは」
三月七日。火曜日。晴れ。
『他人の気持ちが分かる人になりなさい』
『他人の痛みが分かる人になりなさい』
と口にしながら、自分にとって都合の悪いことについては相手の気持ちや痛みなんて考えずに攻撃する人が多いと思う。それは結局、
『自分の気持ちに配慮してほしいから』
『自分の痛みに配慮してほしいから』
そう言ってるだけにしか思えないんだ。自分が認めたくない価値観について頭ごなしに否定する行為は、それこそ相手の気持ちも痛みも理解しようとさえしていないからできることだと思うし、相容れない価値観を持つ人同士が自分にこそ配慮を求めるなら、『他人の気持ちが分かる人になりなさい』『他人の痛みが分かる人になりなさい』なんて成立しないんじゃないの?。
そんなことを考えてる僕の前で沙奈子は今日も、お風呂に入るために裸になってた。父親であり男性である僕がいることをまったく気にしていない。そして僕も、沙奈子が自分の見てる前で裸になることについては、あくまで、
『世間一般の常識とは違うんだろうな』
と思ってるだけで、それについて何か苦痛を感じてるとかぜんぜんないんだ。同時に、特別な感慨も浮かんでこない。ただ、痩せっぽちだった彼女が、少なくとも病的な印象のある痩せ方をしてないというのが見て分かることに安心するっていうだけで。今でも決して『一見して健康的な』という印象とは言い難いのも事実でも、見ていて心配になるようなそれじゃないんだ。
そしてもし、沙奈子が、父親の前でも平然と裸になれるほど信頼できてることを他に誰かに対して、
『それが当たり前』
みたいな主張をし始めたりしたら、世間はきっと彼女を攻撃するだろうな。
『おかしいのはお前の方だ!』
って感じで。しかもそうやって攻撃してくる人たちの中には、『他人の気持ちが分かる人になりなさい』『他人の痛みが分かる人になりなさい』と普段から口にしてる人もいるんじゃないかな。『他人の気持ちが分かる人になりなさい』『他人の痛みが分かる人になりなさい』って思ってるからこそ、
『娘が父親の前で裸にもなれないのはそれだけ父親が娘にとって信頼できる相手じゃないからだ』
的な考え方を押し付けるのは『相手の気持ちを分かろうとしてない』『相手の痛みを分かろうとしてない』と感じるからなんじゃないの?。でも、だからって、『父親の前でも気にせず裸になれる。それだけ父親のことを信頼してる』人のことを頭ごなしに否定し攻撃するその振る舞いは、『相手の気持ちを分かろうとしてない』し、『攻撃されることで感じるはずの相手の痛みを分かろうとしてない』よね?。




