二千四百四十 沙奈子編 「よくそんなことが」
三月三日。金曜日。曇り。
今日から沙奈子たちが通う高校で『学年末考査』、いわゆる『期末試験』が始まるけど、やっぱりいつもと変わらない様子だ。
沙奈子たちがテストを前にしても慌てずいられることもそうだし、僕が普段してることは、沙奈子たちや僕にとっては決して『難しいこと』じゃない。何か特別な意識とか気構えとか作らなくても自然とできてることなんだ。
だけど、『遊びとして勉強をする』『信号を守る』『横断禁止の場所を渡らない』『通行区分を守る』『努力義務でしかない自転車のヘルメットを被る』というのを、
『そんなことやってられるか!』
って考える人には『難しいこと』なんじゃないのかな?。だから『何が簡単』で『何が難しい』のかも、人それぞれだと思う。だとしたら『誰でもできる簡単なお仕事です』という文言を安易に使うのも慎重になった方がいいのかなって思った。それを慎重に使うことについてさえ、
『そこまで気を遣ってられるか!』
って考える人には『難しいこと』なんだよね?。僕にとってはぜんぜん難しいことじゃないんだけどな。
『もしかしたらできない人もいるかもしれない』
と想定するのは別に難しくないんだよ。僕にとっては。だけど、それが難しい人もいるのは事実だよね?。『想定なんかしたくない』『そんなことを想定するのなんて面倒だ』と考える人もいるんだよね?。僕にとっては難しくないことだからって『誰でもできる簡単なこと』って言われたら嫌な気分になるんだよね?。
それと同じなんじゃないのかな。
だから沙奈子にも、自分にとっては簡単にできることだからって『誰にでも同じように簡単にできて当たり前』とは考えないようにしてほしいんだ。ほとんどの人にとっては簡単なことでも、できない人や難しいと感じてしまう人がいることを忘れないでほしいんだ。それを忘れないでいられる人になってほしいと思う。
でも、これについてさえ、『努力すればできて当然』とは考えないようにしなきゃとも思ってる。親である僕が『できて当たり前』と考えていたら、沙奈子や玲緒奈も同じように考えてしまっても、自分にできないことについては『できる人とできない人がいる』と考えられても、自分にとっては簡単なことになると、
『できて当たり前』
ち考えてしまうかもしれないと分かってないといけないって思ってる。
『面倒くさい』と感じてしまっても、敢えて考えることを理解することをやめたくないんだ。親である僕が手本を示さなきゃ、沙奈子も玲緒奈も他からそれを学ばなきゃいけなくなるから。
親として当たり前の話だと僕は感じるんだよ。そう感じつつ、だけど他の誰かに対して『そうするのが当たり前だ!』と頭ごなしに押し付けることはしないようにと思ってるってことなんだ。
僕がそんな風に考えてるのを、
『よくそんなことができるな』
と感じるんだったら、『自分にとっては簡単なことでも誰でも同じようにできるとは限らない』と考えなきゃおかしいよね。
 




