二千四百二十四 沙奈子編 「精神的なハードル」
二月十五日。水曜日。曇り時々雪。
なんだかまた冷え込んできた気がする。と思ったら時々雪が。
『バレなきゃ犯罪じゃない』
『捕まらなきゃ犯罪じゃない』
『だから過酷な境遇で育ったからって全員が犯罪者になるわけじゃない』
もしそう考えてるなら、それは『モラルがある』って言えるのかなあ。
自分の境遇からくるストレスを発散するために誰かを死ぬまで追い詰めるようなことでさえ、『バレなきゃ犯罪じゃない』『捕まらなきゃ犯罪じゃない』と言うつもりなの?。『パワハラ』とか『イジメ』とかも、結局はそうだよね?。自分のストレスをぶつけるため、発散するため、転嫁するためにすることなんじゃないの?。なのに、『バレなきゃ犯罪じゃない』『捕まらなきゃ犯罪じゃない』で誤魔化すつもりなのかな?。
どうしてそんなことをするようになったのかな?。何が原因でそんなことをするようになったのかな?。
その一方で、誰かに対してヤキモチを妬くのをやめさせることはできない。妬むのをやめさせることはできない。自分の思い通りになってくれない相手に対して苛立ったりストレスを感じることをやめさせることはできない。
それも事実のはずなんだ。
『人を殺したいと思ったからって必ずしも実際に殺すわけじゃない』
のと同じで、『考える』ことと『行動に移す』ことの間にはそれなりのハードルがあるはずなんだよ。そのハードルを下げないようにするのが、大事なんだと思う。
僕が信号を守るのも結局はそれなんだ。
『信号なんか守らなくていい』
とついつい考えてしまうからって、
『実際に信号を無視するという行動に移る』
ことの間にあるハードルを意識しようとしてるんだ。そして同時に、そのハードルを下げてしまわないようにするために、普段から穏やかに暮らしていられることを心掛けてる。沙奈子や絵里奈や玲那に対して理不尽な態度を取ってたら、当然、沙奈子や絵里奈や玲那も僕に対する反発や苛立ちが抑えられなくなって態度が刺々しくなったりするんじゃないかな。
そうなるとまた僕自身も苛々してしまうと思う。そんな風にして苛々していたら、信号を守ることさえ『やってられるか!』と思ってしまうんじゃないかな。『信号なんて守らなくていい』と自分を甘やかしてしまいそうになるハードルが下がってしまう気がする。
だから、沙奈子が玲緒奈に対してヤキモチを妬いたとしても、それ自体は仕方ないと思いつつ、実際に理不尽な態度を取らないようにできるためのハードルは下げたくないんだよ。自分の鬱憤やストレスの捌け口として玲緒奈を利用するようなことをしてほしくないし、しないで済むようにしたいんだ。そのためには僕自身が沙奈子に対して理不尽なことをしないというのが大事だと思ってる。
『過酷な境遇』というのは、間違いなく『理不尽な行い』を実行しないでいられる精神的なハードルを下げるんだろうね。それをわきまえていたいんだ。




