二千四百二十三 沙奈子編 「たまたま捕まって」
二月十四日。火曜日。曇り時々雨。
玲緒奈が生まれたことで沙奈子がヤキモチを妬いたりするかもしれないと少しは心配もしたけど、それはただの杞憂だった。
僕はたとえ沙奈子が玲緒奈にヤキモチを妬いたとしても、そのことを責めるつもりはまったくなかった。ただ、だからといって玲緒奈に対して何か理不尽なことをするとしたら、それについては容認しないというだけで。
そうなんだ。『ヤキモチを妬く』『誰かを妬んでしまう』こと自体は、抑えられるようなことじゃないと思う。
『ヤキモチを妬くな!』
『誰かを妬むな!』
なんて言ったってそれは無理なんじゃないかな。だからこそ『内心の自由』というのも認められてるんだし。
それに、よく言うよね?。
『過酷な境遇で育ったからって全員が犯罪者になるわけじゃない』
ってさ。でもこれって、
『不穏なことを考えたりさえしない』
という意味なのかな?。違うと思うけどな。僕自身、『決して不穏なことを考えてさえいなかった』わけじゃないよ。嫌な相手がいたらその人がこの世からいなくなるのを願ってしまう子となんて日常的にあったりした。僕は決して聖人君子なんかじゃない。ただ単に、『行動に移さないようにできた』だけなんだ。
ほとんどの人がそうじゃないの?。
『過酷な境遇で育ったからって全員が犯罪者になるわけじゃない』と言ったって、
『たまたま表面化しなかっただけで、バレなかっただけで、法に触れるようなことをしてきた』
なんていうのはよくあることじゃないの?。だから、何か新しく法律ができて取り締まりが厳しくなるような流れになったら、
『このくらいのことで!』
とか言ったりするんじゃないの?。自分もそれをしてるから。自分が取り締まられる側になるかもしれないから。そうじゃなければ別に大して気にならないと思うんだけどな。僕も、自転車に乗る時のヘルメット着装が努力義務になったのをはじめとして違反行為について厳しく取り締まる方針が示されたり罰則が厳しくなるような流れになっても大して気にならなかったけどな。『ああ、そうなんだ』と思っただけで。
だって僕は、無謀な運転をしたいと思ってるわけじゃないから。ついついということはあっても、それをついやってしまうこと自体は『甘え』だと思ってるから。自分を甘やかした結果、取り締まりを受けるならそれは自分の所為だからね。
ましてや、
『法律に縛られない自分、カッコいい!。みたいに考えて無謀な運転をしてるけどただ取り締まられてない』
って人は、『法に触れるような行為すらしてない』わけじゃないよね?。たまたま捕まってないだけだよね?。




