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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二千四百二十 沙奈子編 「我慢してる時点で」

二月十一日。土曜日。晴れ。




今日も沙奈子たちは水族館に行ってる。いよいよ『SANA』の正社員として登用することが決まっても、それによって僕の扶養から外れることになるのが決まっても、これまで通りに普通に穏やかに毎日を過ごしてくれてる。


そんな彼女をしっかりと見守りたいと僕は思う。


『普段と変わりないように見える』


ことに安心しないように。油断しないように。


ついつい自分の思い通りになっていると感じるとそれに安心してしまって油断してしまうというのも人間の習性のような気がするから。それに沙奈子は、『我慢強い』からね。嫌なことつらいことがあってもそれに耐えらえてしまうところがあるから。耐えようとしてしまうところがあるから。


『我慢できる』


ことと、


『平気』


というのとはぜんぜん別だと僕は思うんだ。ううん、むしろ、


『我慢してる時点で平気ってわけじゃない』


『本当は平気じゃないからこそ我慢する』


『我慢できてるからって平気だと考えるのは危険』


だと思うかな。


なにしろ、僕が生まれたばかりの頃の玲緒奈れおなの世話をしていたことだって、『まともに寝られない』という点とかが別に『平気』だったわけじゃないから。我慢できてしまっただけだ。だから限界を迎える可能性は間違いなくあったし、それに耐えられたからって、


『平気だったんだろ?』


みたいに思われるのはいい気はしないかな。


沙奈子にはそれをわきまえられる人になってほしいと思うんだ。『我慢できている』のと『平気』なのは違うってこともね。それをわきまえられるからこそ誰かを労わることもできると思うし。


家族が頑張ってるのを労うこともしない人は、その区別が付いてないんじゃないかな?って気がする。


『我慢できてるんなら別に労う必要もないだろ?』


みたいに思ってるような気がする。


本当に平気なんだったら確かに労ってもらえなくても大丈夫かもしれなくても、『我慢してる』ことについて労ってもらえない状態がずっと続くというのはつらいと思うし、いつか耐えられなくなる時がきても何もおかしくない気がするんだよ。『熟年離婚』みたいなのも、そういうことじゃないの?。


ずっと我慢はしてきたけど、耐えられてはきたけど、『もう限界だ』ってなったから離婚を決意することになったんじゃないのかな。


『我慢できてるなら大丈夫なはずだ』


『我慢できてるなら平気なはずだ』


とは、思わないようにしなくちゃって僕は考えるし、沙奈子にもそう考えられる人になってほしいと思うなら、僕が手本を示さなきゃね。



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