二十四 沙奈子編 「遭遇」
沙奈子の詳しい検査結果はこの前の土曜日に病院で聞いて来たけど、やっぱりどこも何ともないっていうことだった。となると結局、長く付き合う覚悟をしなきゃならないのか。しかも、薬はもういらないですと伝えたら、「そうですか」と言われただけだった。何しろその薬は、尿量を抑えるだけで、おねしょそのものをしなくなるという保証はできなかったし、そのくせ、頭が少しぼうっとしたり集中力が下がったりする副作用も出る場合があるっていうものだから、自然に治るのを待つのなら無理して飲まなくてもいいと、医師にも言われたのだった。
なんだそれ。最初の時はそこまで説明されなかったぞ?。いい加減だなあとか思ったりもした。でもこれからもお世話になるかも知れないから、あえて口にはしなかったけど。
とまあそんなこんなで沙奈子のおねしょはすっかり、僕達にとってはただの日常になっていた。おねしょしたおむつを見られるのは相変わらず恥ずかしいみたいだけど、それを恥ずかしいと感じる気持ちがあるんなら、ひょっとしたら意外と早く治るかも知れないと楽観的な気持ちにもなった。
とか、それはさて置き、沙奈子のプールも終わって、8月に入って、彼女はいよいよ家ですることが無くなってしまったのだった。これまでは平日は学校があったから一日一人で留守番ってことは殆どなかったけど、少なくとも今週と来週はずっとそういうことになってしまう。
とりあえず今のところは100均のドリルをやってもらうしかなかった。ゲームとか渡すことも考えたけど、それは沙奈子自身が欲しがるそぶりを見せてからでもいいかと思う。
それにしても、思えば彼女はこれまで一人で何をしてきたんだろう?。父親である僕の兄が彼女の相手をしてあげてたとは思いにくいし、母親に至ってはどこの誰かも分からない有様だ。それからすれば、いまさら心配することでもないかも知れないけど、気になってしまうのも事実だ。そこで僕は、自分がそういう時にどうしていたか思い出してみた。
…けど、思い出せない。本とかを読んでたような気もするし、マンガを読んで時間を潰してた気もするけど、本とかマンガとか買ってもらった覚えがない。じゃあ、その時に読んでた本とかマンガは、どうしたんだろう?。って思ったら、たぶんそれは、兄が要らなくなったものを僕が勝手に読んでただけなんだろうなと思った。
中学の頃にはもう、こんな親は頼れない。さっさと自立して家から出て行こうとか考えてけっこう勉強してた気がする。その割には成績はギリギリ上位グループに引っかかってるかな程度だったけど…。何だか、親の姿勢が子供の学力にものすごく影響を与えるという説が納得できてしまう気がする。とは言え、親が中途半端に普通だったら今度は勉強しなくて成績が振るわなかったかもしれないし、楽しく勉強ができるって大事だなってつくづく感じた。
いや、だからそうじゃなくて、沙奈子が一人の時間をどう有意義に過ごすかっていう話だよ!。
っていうことを、昼食の時に一人考えようとしてたのに、僕の前には昨日の女性社員二人がまた、マシンガントークしてたのだった。昨日はとにかく面食らって余裕が無くて胸の社員証すら見てなかったけど、伊藤さんと山田さんという名前らしいのだけは分かった。普通過ぎて、覚えてられる自信はないけど。
昨日の僕の態度は客観的に見たらきっとかなり素っ気なかったと自分でも思う。それでもめげずにこうやって話しかけてくるということは、もうこっちが迷惑そうな顔とかしても無駄なんだろうなっていう気がした。だからもう、話を適当に聞き流して勝手にしゃべらせておこうと考えた。僕も沙奈子のことを考えてるから2割も聞けてないと思うけど、僕が話を聞いてないことに腹を立てて近寄らなくなってくれるんだったら、それはそれで構わない。彼女達に合わせなきゃならない理由は僕にはないし。
そんな感じで受け流していたら、
「山下さんって、結構クールなタイプなんですね」
とか言われた。はあ?。何でそうなるんだよ?。
…でも、彼女達が僕を見てそう受け取ることが、ちょっと面白いとも感じた。なるほどとも思った。そうやって勝手に相手に自分のイメージを当てはめて、それを基準に自分の対応を組み立ててるのかと思った。
僕なんかは相手がどういう人か掴めないと何をしていいのか分からなくて混乱してしまうけど、自分で勝手にこういう人だと決め付けてしまえば、なるほど自分がどう行動して何を言うか決められるよな。それが的外れだとしても、的外れだったことが分かったらその時点で修正を加えて次のイメージを作ればいいんだろうし。もしかして彼女達みたいな人って、そういう風にして他人と関わってるのか。
僕のその考察が正しいかどうかは分からないけど、僕にはとても真似できそうにはないけど、冷静になって見てみるとそれなりに見えてくることもある気がした。
例えば、話の口火を切るのは伊藤さんの方で、山田さんは基本的に伊藤さんに追従してる感じだった。だけど、相手を実際に分析してるのは山田さんの方みたいで、僕をクールなタイプと評したのも山田さんだった。たぶん、丸くなった柔らかくなったと言ったのも山田さんの方だと思う。思うと言うのは、顔の作りって言うかこれはメイクなのかな?とか髪型が似通っていて、正直、社員証を入れ替えられたらどっちがどっちか分からなくなる気がするからで、彼女達の座ってる位置が昨日と同じだったらというのが前提だからで。
何にせよ、昨日ほどは不快にもならず、何とか休憩時間の終わりまで好きにさせておくことができたのは、僕なりにちょっとした進歩だと感じなくもなかった。ただし、彼女達の話の内容はほとんど入ってこなかったけどね。
そしてまたその翌日の昼休みにも、彼女達は僕の前にいた。よくまあそんだけしゃべって疲れないなと感心する僕を尻目に、彼女達はとても楽しそうだった。だけどその時、
「ところで山下さんは、今度の土曜日、何かご予定はありますか?」
とか、伊藤さんが切り込んできた。その唐突さに僕は一瞬頭が真っ白になって、
「い、いや、何もないけど…?」
と応えてしまったのだった。いやいや、何もないことない。沙奈子と海に行く予定にしてたじゃないかと慌てて訂正しようとしたら山田さんが、
「じゃあ、一緒に海に行きませんか?。もちろん山下さんのご家族も一緒に!」
という訳で、次の土曜日、沙奈子も連れて彼女達と海に行くことになったのだった。
そして当日。沙奈子と一緒に、待ち合わせの場所になってた乗換駅で彼女らと合流すると、
「あなたが沙奈子ちゃん?。こんにちは!」
「今日はお姉さんたちと一緒に海で楽しもうね!」
などとやっぱりあの調子でぐいぐい来たのだった。それに対して沙奈子は、怯えたように僕の後ろに隠れてしまった。僕に抱き付くその手から、戸惑いと不安が伝わってくる気がした。
その気持ち、すごく分かるよ沙奈子…!。




