二千三百七十七 SANA編 「なのにこうして」
十二月三十日。金曜日。晴れ。
また、飲酒運転をしていたドライバーが大きな事故を起こしたらしい。しかもそれで、母親が亡くなり、一緒に乗っていた子供二人が怪我をしたって。
そのドライバーだって、『事故を起こすつもり』で飲酒運転をしていたわけじゃないよね?。『自分は酒を飲んで運転しても事故は起こさない。大丈夫』とか考えて飲酒運転したんじゃないの?。なのにこうして事故を起こした。それも、正面衝突なんて、本当に意味の分からない事故を。前から自動車が来ててぶつかりそうだってなったら回避しようとするよね?。と言うか、そもそもぶつかりに行くような運転をすること自体がおかしいよね?。
これでもまだ、
『事故さえ起こさなければ交通ルールなんて律儀に守る必要ない』
とか考える人はいるんだろうな。『交通ルールを守らない』ことはもちろん問題だけど、それ以上に、
『交通ルールなんて律儀に守る必要はないっていう意識』
こそが問題なんだって考えることができないのはなぜ?。『自分の頭でちゃんと考えてる人』がどうしてそのことさえ考えることができないの?。どうして?。
玲緒奈と散歩してる間だけでも何度も見かける。一時停止を無視して、歩行者の方を止まらせようとする自動車とかを。そこでもし、歩行者の方が気付いてなくて止まらずに衝突したら、どんなに言い訳をしても自動車の方の責任が重くなるんだよ?。自分を守ろうと思えば、自分の家族を大切な人を守ろうと思えば、そんなことはしないんじゃないかな?。保険に入るように、『万が一を想定』することができれば、それを考えることをしてれば、『交通ルールを守らない』という選択肢はないと思うんだけどな。
自分は完全に交通ルールを守ってるのに相手がそれを無視して突っ込んできてぶつかったのなら、ちゃんと交通ルールを無視してぶつかってきた方に責任を問うことができるはずだけど?。ましてや最近は『ドライブレコーダー』という形で証拠を残すこともできるよね。確かそのおかげで、横断禁止のところを横断してた歩行者が原因で起こった事故について、その歩行者に責任を問うことができたって事例もあったんじゃなかったかな。
だから歩行者の立場でも自転車の立場でも、『交通ルールを守る』というのはあくまで『自分を守る』という意味なんだとわきまえていたら、
『交通ルールを律儀に守ろうとするのは自分の頭でちゃんと考えてない』
なんて考え自体が湧いてこないと思うんだけどな。
僕は親として、沙奈子や玲緒奈にそれを分かってもらおうと思ってる。それが『親の責任』だよ。




