二百三十七 玲那編 「これからするべきこと」
法律に触れることをするというのはどういうことなのか、僕たちは身に沁みて思い知らされていた。本人だけじゃなく、沙奈子みたいな小さな子までこんなに苦しまないといけないんだから、こんなことをしていい訳がないっていうのがつくづく分かった。今までも分かってたつもりだったけど、それは結局は頭の中で想像してただけでのことで、実際の苦しさまでは想像できてなかった。
苦しい、痛い、辛い、悲しい。そのどれでもありそうで、でもそのどれでもないかも知れない得体の知れない何かが、僕をぎりぎりと締め付けるのを感じてた。しかもそれと同じものが、沙奈子も締め付けてるはずなんだ。それが許せなかった。僕があの時、玲那を止めてあげなかったことがこれを招いたのなら、僕は自分を許せない。
もちろん、実際に行為に及んだのは玲那だ。だから玲那にその罪があるというのは分かるし仕方ないと思う。それを裁かれるのも当然だと思う。玲那だってそんなことは分かってたはずだ。分かってたはずなのにこんなことになってしまった。それが何故なのか僕には分かる気がする。児童相談所で沙奈子に起こったことが玲那にも起こったんだってやっぱり思う。
だから、行かせるべきじゃなかった。実のお母さんの葬式にも出ないなんて薄情だって言われたと思う、親不孝だって言われたと思う。だけどそれでもこんなことになるよりはずっとマシだったはずだ。こんなの、親不孝どころじゃないだろ。
沙奈子を抱き締めたまま僕は思った。覚悟を決めた。沙奈子の体温と鼓動を感じてるうちに、それが僕に沁み込むようにして届いてきて、僕の意識を鮮明にさせてくれた。そして心に誓ったんだ。僕が、玲那の罪を一緒に背負う。僕があの子を止めてあげられなかったことでこうなったのなら、僕は親として責任を負う。
そうだ。そのために何ができるのか、僕は知らなくちゃいけないと思った。心当たりを辿ってできることを調べなくちゃいけないと思った。まず頭に浮かんだのは、山仁さんだった。迷惑を掛けることになってしまうのは分かってる。だけど僕は床に頭を擦りつけてでも力になってもらうことをお願いしに行こう。沙奈子を預かってもらったりっていうことで今まで以上にお世話になるはずだし。
その次に頭に浮かんだのは、星谷さんだった。以前、沙奈子のことがあった時に弁護士を紹介すると言ってくれたことを思い出していた。高校生の女の子に頼ろうなんて情けない限りだったけど、この際、僕のプライドなんかどうでもいい。何をどうすればいいのか、専門的な知識のある人が必要なんだ。
それは決して、玲那の罪を軽くしてもらうためじゃない。やったことはやったこととして裁かれるのは当然だ。ただ、そのために何が必要なのかを知らなくちゃいけないんだ。
この時間は山仁さんは寝てるはずだし、星谷さんは学校のはずだ。だから夕方以降になるとは思うけど、さっそく連絡を取ろうと僕は思ったのだった。
そうやって覚悟を決めると、それまでぐちゃぐちゃだった頭の中が急に整理されてくるのを感じた。僕は、沙奈子を、絵里奈を、玲那を守る家長なんだ。僕がいつまでもおろおろしてたら家庭なんて守れない。
待合室のソファーに沙奈子を抱いて座り、赤ん坊をあやすみたいに彼女の体を軽くとんとんを叩きながら、絵里奈が戻ってくるのを待った。僕が玲那の親として苦しむのも当然だろう。だけどこの子だけは、この子に累が及ぶのだけは、できるだけ防ぎたい。そのためにもやれることはやらなくちゃいけない。
一時間ほどして女性警官に連れられて戻ってきた絵里奈は、僕の知らない姿になってた。別人みたいに憔悴しきった感じで、目も虚ろだった。そんな絵里奈を、僕と沙奈子で抱き締めた。するとまた、絵里奈は体を震わせて泣き始めたのだった。
結局、それからさらに30分ほどしてようやく落ち着いた絵里奈と沙奈子を連れて、僕は城東署を後にした。もう日が傾き始めていた。近くに薬局があったからそこで酔い止めの薬を買って、沙奈子に飲んでもらった。帰りはタクシーで帰るつもりだったから、念の為だ。
お昼も食べてなかったから、コンビニで肉まんを買って三人で食べた。食欲なんてなかったけど、食べなきゃダメだと思った。僕と沙奈子は一つ食べ切って、絵里奈は半分ほどしか食べられなかった。残った肉まんを口に放り込み、僕はタクシーを呼び止めた。
ようやく家に帰り着くと、部屋の前にあった雪だるまの頭の部分が落ちて崩れてた。それが何かを暗示してると思いかけそうになるのを無視して、ドアのカギを開けようとすると、隣の部屋のドアが開いて、そこから秋嶋さんが姿を現した。
「あの…」
と声を掛けられて、沙奈子と絵里奈を先に部屋に入らせてから「はい」と応えた。
「ニュースでやってたことって本当なんですか…?」
辛うじて僕に聞こえる程度の小さな声で、秋嶋さんは聞いてきた。上目づかいでおどおどとしたその態度に、僕は少なくない不快さを感じてた。だけどそれも意識しないようにして、
「そうです」
とだけ言った。すると秋嶋さんの顔からもみるみる血の気が引いていくのが分かった。
それ以上何も言ってこなかったから、僕は軽く会釈して部屋に入ったのだった。
ようやく家に戻った僕たちは、三人で寄り添うようにコタツに入って体を温めた。沙奈子を膝に座らせて、絵里奈の体を抱き締めて、黙って撫でた。
そのまま一時間ほどすると、ようやく絵里奈の顔にも生気が少し戻ってきた感じになり、目にも光が戻ったように思えた。
「ごめんなさい、達さん…」
絵里奈が僕を見ながら小さく謝ってきた。だから僕は言ったんだ。
「謝らなくていいよ。絵里奈は何も悪くない。こんなことがあったらショックを受けて当たり前だと思う。辛い時には辛いって言ったらいい。泣きたいときは泣いたらいい。僕たちは家族だ。見栄を張ったり強がったりする必要はないんだ」
僕の言葉に、「はい…」と呟くように絵里奈が応えた。
そしてようやく落ち着いた絵里奈が沙奈子と一緒に夕食の用意を始めた。その間に僕は、スマホを取り出して電話を掛けた。六時を回ってたから、山仁さんももう起きてる頃だと思ったからだ。
「はい」
何回かのコールの後に、いつもの落ち着いた感じの声が聞こえて、僕は思わずホッとしていた。
「お忙しいところすいません、山下です」
と僕が言うと、「こんばんは」とやっぱり穏やかに返してくれた。だけど僕は、これから大変なことを打ち明けなきゃならない。だからそれを口にするために気持ちを作ろうと、一呼吸置いた。そしたら山仁さんの方から、
「もしかして、玲那さんのことですか…?」
って言われた。僕が思わず言葉に詰まると、それが伝わったみたいで、
「じゃあ、あのニュースはやっぱりそうだったんですね…」
なんて…。
辛うじて「はい…」と応えた僕に、山仁さんから意外な言葉が掛けられたのだった。
「私の方もお話ししたいことがあります。今日、こちらに来ていただくことはできますか?」




