二千三百六十一 SANA編 「お酒の力に」
十二月十四日。水曜日。曇りのち晴れ。
今の会社は、飲み会とかを強要されないから僕もすごく助かってる。『飲みニケーション』と呼ばれる職場でのコミュニケーション方法がずっと重視されてきたらしいけど、洲律さんが言ってたように、お酒の力を借りないとコミュニケーションも取れないというのは、
『コミュニケーション能力が低い』
ということなんじゃないかな。少なくとも決して『コミュニケーション能力が高い』ことを表してるとは思えない気がする。コミュニケーション能力が高ければお酒の力なんかに頼らなくても普通にコミュニケーションがとれるはずだし。
そして、あくまで僕の単なる『印象』でしかないんだけど、そうやって飲みニケーションを重視してる人って、家では家族とまともにコミュニケーションがとれているって感じられないんだ。だから家に居場所がなかったりするんじゃないの?。そうやって自分の家でちゃんと存在感を示せない人が仕事の上でもそんなに優秀なのかな?。営業職とかでも、顧客が望んでることを読み取って適切な対処が本当にできてるのかな?。自分の家族とさえまともにコミュニケーションを取れない人がだよ?。
もし顧客対応が上手くやれてるように見えても、それはあくまで自分の都合を一方的に押し付けたり、逆に顧客の要望を一方的に丸呑みしてるだけだったりしないかな?。
たとえそういうのでも結果的に営業成績に反映されてるのなら仕事としては成立してるのかもしれないけど、それって顧客との信頼関係は本当に築けてるのかなって思ってしまうんだ。
もちろん僕自身はそれこそ営業職には向いてないって自覚はあるからこれはただの戯言だとして、偉そうなことは言えないし実際に他の誰かに面と向かって語ることもしないにしても、口先だけでいいようなことを言ってる営業って、あんまり関わりたくないかな。
特に自分の家族を疎かにしてる人って信用できないんだ。都合が悪くなったら適当なことを言って誤魔化してきそうで。
だから自分の家族とまともにコミュニケーションを取れていない人がお酒の力に頼って相手に絡もうとしてるというのなんて、それこそ関わりたくもないかな。
『酔わせないと相手も腹を割って話してくれない!』
みたいなことを言うとしたら、
『それはあなたが相手から信頼されてないだけなんじゃないですか?』
としか思えないんだよ。
これもあくまで僕の個人的な見解だし、きっと異論もあると思う。でも、その僕の個人的な見解を覆してくれる人を見たことがないんだ。
『子供なんて動物と同じだ』
という考え方を覆してくれる人とは出逢えたけど。沙奈子と山仁さんがそうだった。沙奈子は『人間じゃない動物』なんかじゃなかったんだよ。ちゃんと人間だった。だから人間として接したら大丈夫なんだっていうのを、沙奈子から教わったんだ。




