二千三百五十四 SANA編 「恐怖政治」
十二月七日。水曜日。晴れ。
そうだよね。
『大きな力を行使する』
というのはとても理性を働かせて自制的に行わないといけないというのを強く感じる。自分のその場その場の感情とかを優先して客観的に考えることもせずに力をふるうのを当然だと考えるなら、独裁者が恐怖政治を行うのも正当な行為ってことにならないかな?。
『体罰』っていうのは、独裁者による恐怖政治と同じだと思う。
本来の法治国家でなら、何か法に触れることをしでかした時にも、きちんと弁明の機会が与えられて弁護士とかを付けて無罪の主張をすることさえ権利として認められているのに、司法手続きさえ踏まずにその場にいる一個人の判断だけで相手を断罪し罰を与えることを認める行いだよね。
もちろんそれで言ったら体罰以外の懲罰もそういうことになってしまうけど、でもその中でも『体罰』というのは、
『目先の感情だけで取り返しのつかないことをする』
っていう意味合いがとても強いと思うんだ。『体罰をふるった』という事実は消えないし、ましてや怪我でもさせたらもう取り消しもできない。いい歳をした大人がどうしてそういうことを考えられないのかというのが僕には不思議で仕方ない。
ましてや乳幼児相手に一方的に体罰をふるうとか、そんなのは『躾』じゃないよ。ただの『憂さ晴らし』だ。
僕は玲緒奈に対して体罰なんかしてこなかった。咄嗟の時につい声を荒げてしまったりはしたけど、それ自体、別に必要なことじゃなかった。ただただ『思わず』っていうだけなんだ。だからその後で、
「ごめんね」
と謝った。『好ましくない行いをした時にはちゃんと謝るという手本』を、僕自身が示すためにね。
親だって大人だって完璧じゃないから間違ったりもするし失敗だってする。でもだからこそ、間違ったり失敗した時にはちゃんと謝罪することを子供の前で手本として見せるんだ。そうすることで子供だって学んでいくと思うし、
『大人だって間違うし失敗もするんだから、自分が間違ったり失敗してもちゃんと『ごめんなさい』して次から気を付ければいいんだ』
って思えるようになるんじゃないかな。波多野さんがバイト先で大失敗をした時も、山仁さんはそれ自体を責めなかったし、
『もしクビになっても私は君を追い出したりしないから、ちゃんと謝ってきたらいいよ』
という感じで言ってくれたから、しっかりと頭を下げることができたって。山仁さん自身、間違ったり失敗した時にはちゃんと謝るようにしてくれてたそうで、それを見てたから素直に聞けたみたいだね。




