二千三百五十二 SANA編 「恐ろしい怪物」
十二月五日。月曜日。晴れのち曇り。
保育園で保育士が園児を虐待していたらしいという話で、とうとう保育士が逮捕されたみたいだね。
僕もそれは当然だと思ってる。
自分が子供を育ててるからこそ。
赤ん坊や小さな子供にとって大人は、
『自分の力じゃ絶対に勝てない恐ろしい怪物』
なんだよ。本来はね。そして、
『自分が絶対に負けるはずのない相手を暴力で従わせよう』
という考えは、どんなに言い訳したって『卑怯』だとしか思わない。
『子供を躾けるためだ』
なんてのは、どこまでいっても自分の甘えを正当化しようとしてるだけにしか思えないしね。暴力で相手を従わせようとする行いを大人が子供の前で見せるのは、子供に対してやってみせるのは、
『相手を自分に従わせるには暴力をふるえばいい』
というのを学ばせることにしかならないという実感しかないんだ。
玲緒奈はすごく我が強くて活発で、たぶん、年齢の割には力も強い。散歩でも、抱っこを求めることは実は少なくて、一時間でも平気で歩いたりもする。
だけど、最近は僕のことをひっぱたいたりはしなくなってきたんだよ。彼女が癇癪を起して僕をひっぱたいたりしたら、
「痛い、痛いよ。玲緒奈」
って僕はその度に言ってきたんだ。しかも玲緒奈自身、叩くと自分の手も痛くなることを理解したみたいでね。叩いた自分も痛いんだから、叩かれた方も痛いっていうのを理解し始めてくれてるんだと思う。
だから、誰かがつらそうにしてると、
「よしよし」
ってしてくれるんじゃないかな。モニター越しとはいえ千早ちゃんに対しても『よしよし』ってしてくれたみたいに。
僕は、玲緒奈に対して暴力で躾なんかしてないよ。だけど彼女は『叩かれると痛い』というのを知ってるんだ。その上で、普段の僕たちの振る舞いから、人間としての振る舞いを学んでるっていうのが分かる。『相手の言葉に耳を傾ける』というのもでき始めてる。『気に入らないからって暴力をふるったりしない』というのも分かってきてる。
もちろん、これから先にまだまだいろいろあるだろうからその度に間違えたり失敗したりするとは思うけど、それ自体が人間なら普通のことだよね?。間違えたり失敗した時には何がよくなかったのか、彼女と一緒に考えるようにしたいと思う。それが親の役目だと思うし、そういう形で間違いや失敗と向き合うという姿勢そのものの『手本』を示す必要があるはずなんだ。それが僕の親としての実感だ。
『躾』なんて言葉で自分よりも間違いなく弱い相手を力尽くで従わせようなんて振る舞いは、ただの『悪い見本』だとしか思わない。




