二千三百四十五 SANA編 「いろんな視点から」
十一月二十八日。月曜日。晴れ。
『子宮移植』の件については、
『正直なところ僕たちにはそこまでは理解できない』
というのが大まかなところかな。ただ同時に、そこまでして子供が欲しいと考えてる人の気持ちについて蔑ろにしようとは思ってない。
一真くんも篠原さんも、
「でも、俺には気持ちは分からないからってどうこう言うつもりもないです」
「私も、自分はそこまでしたいとはぜんぜん思わないですけど」
とのことだった。子宮移植を望む人に対してとやかく言うようなことをしないでいてくれるなら、別にどんな考えを持っててもいいと僕は思うし、それは尊重しなきゃいけないと思うんだ。自分の主義主張とは噛み合わない主義主張を持ってる人に対して攻撃的に振る舞うような大人の姿を見せたいとも思わない。零か百かの二元論で語るのが正しいとは思ってないし、きちんといろんな視点から捉えて話し合うという姿を見せていきたいんだ。
その上で僕たちは、ある程度は近い考えを持った人間同士で力を合わせて支え合って生きていこうとも思ってる。そういう小さなコミュニティを作ることでこのつらいことの多い大変な世の中を生き抜いていこうと思ってるんだ。自分一人の力だけでなんでも乗り越えていけるとは思えないからね。ただ同時に、だからって自分たちの考えとは噛み合わない人たちを攻撃したいとも思わない。そんな風に攻撃すれば自分たちも攻撃されるのを認めないといけないはずだから。そうじゃないとおかしいから。
暴力で力尽くで状況を変えることが正しいと思ってる人もいるみたいだけど、たまたま自分にとって都合よく状況が変わった事例だけを取り上げて、
『だから正しい!』
とか言いたいのかもしれないけど、世の中っていうのはいつだって自分に都合よく状況が変わるわけじゃない現実から目を背けてそんなことを言ってるとか、暴力で自分たちに都合のいい変化をもたらそうとして戦争を始める国と同じだとしか思わないよ。自分が暴力でどうにかするのを正当化しようと思うのなら、暴力でどうにかしようと考えて戦争を起こす国のことも認めないと筋が通らないんじゃないの?。
それに、暴力で何とかしようとしてかえって状況を悪化させることだってあるはずだよね。そういうのを見ないで都合のいい事例だけを見てもてはやすとか、本当に利口な人がすることなの?。
一方的に暴力で襲い掛かってくる相手に対抗するには力に頼る必要があるのは分かるしそれを否定するつもりはないよ。だけど『暴力を使えば上手くいく』なんていうのはまったく別の話だとしか思わない。
そんなの、気に入らないことがあるからって暴れて何とかしようとしてる人と同じだよね。店員に対して横暴な態度を取る人とか、高齢者施設で職員に暴力をふるう入所者と同じだよね。




