二千三百三十六 SANA編 「親としての適性」
十一月十九日。土曜日。曇り。
昨日、玲那が言った。
「たかが姉が妊娠して堕胎しただけで妹がそこまでショックを受けるのとかおかしいとか言う人もいるかもしれないけどさあ、それを言うなら、たかが漫画やアニメの展開や出来でまるでこの世の終わりみたいに騒ぐ人がいるってのもおかしいよねえ」
確かに。妊娠や堕胎はそれこそ実際に『命』というものに直結した話だけど、漫画やアニメの出来云々については、どうでもいい人からすれば本当にどうでもいいことなんだ。
「私もさあ、漫画やアニメは好きだからその出来については気になるよ?。残念な出来の漫画やアニメに触れたら何とも言えない気持ちになるのもホント。でもさ、だからってそれが私の人生そのものにどう影響するかって言ったらさすがにそこまでじゃないよ。がっかりはがっかりでも、『切り替えていこ~!』って思えるしさ」
とも、彼女は言ってた。
それに、僕も絵里奈も沙奈子も頷く。
もちろん、漫画やアニメにそれこそ人生を賭けてるみたいな人も世の中にはいるのかもしれない。そのこと自体を悪いと言いたいわけじゃないんだ。ただ、自分の拘りについて大事にしたいなら、他の人にも大事にしたい部分があるということは理解するべきなんじゃないのかなって思うだけ。沙奈子や玲緒奈にはそういうことも分かってほしいと思うだけ。
そして沙奈子は、もうすでに分かってくれてると思う。だから次は玲緒奈だよ。玲緒奈にもそれを分かってもらって、誰かにとっては大事なものを一方的に蔑ろにしたり嘲笑ったりするような人にならないようにしてほしいんだ。だけどそれについては、僕たちが手本を示さないとダメだっていう実感もある。
千早ちゃんが、生まれてこれなかった自分の姪か甥について泣いてしまったことについても、僕たちはそれを馬鹿にするつもりもないし嘲笑ったりもしない。僕たちがそんなことをしてたら、玲緒奈もそれを当たり前のことだと思ってしまうようになるだろうからね。
それが『子供を育てる』ってことだと思う。『教える』という以上に、『手本を示す』のが重要だと感じるんだ。こうして実際に子供を育てているからこそ。
千早ちゃんは、山仁さんのところで過ごす時間が長くなったことで、むしろ山仁さんの影響を強く受ける形になった。だけど、母親の下で今も暮らしてるお姉さんたちは、そのまま母親の影響を強く受けてるんだろうなって思う。
千早ちゃんの母親は、看護師としてはとても優秀な人だと感じる。だけどそれは必ずしも親としての適性を担保してはくれないよね。それも現実のはずなんだ。




