二千三百十一 SANA編 「不満を抱かれる」
十月二十五日。火曜日。晴れ。
世の中には、子供が何か不平不満を漏らすと、
『親の所為にするな』
みたいな言い方をする人が多いけど、これもすごくおかしいと感じてる。だってそうだよね?。『反抗期』っていうのはあって当然で、むしろ反抗期がないのはおかしいって感じてるんだよね?。僕が沙奈子や大希くんが目立った反抗期を見せなかったことについて、
『反抗する必要がなかったから』
と言っても納得できない人も多いんじゃないかな。『それはおかしい』って思う人も多いんじゃないかな。でも、『親に対して反抗する』というのは、『反抗しなきゃいけない原因が親にある』っていうことじゃないの?。それは『親の所為にしてる』っていうことじゃないの?。
親に反抗して不良になってしまった人たちって、要するに親の所為にしてそんなことをしてただけだよね?。
なのに他の誰かに対しては『親の所為にするな』って、自分のことを棚に上げてるんじゃないの?。
反抗期があるのが当たり前なら、それは、『親の所為にして好ましくない振る舞いをするのが当たり前』ということじゃないのかな。
親の所為にして反抗して不良になるのも、親の所為にしてニートになるのも、やってる内容が違うだけで本質は同じだと感じる。不良から更生する人もいるだろうけど、ニートから脱却する人だっているのと同じことじゃないのかな。
それに、世の中には不良みたいなのになったままの人もけっこういる気がするんだけどな。それってニートから脱却できない人と何が違うんだろう。他の誰かを威圧して時には暴力をふるって迷惑を掛けてって、親の所為にして不良になってそのままだなんて、ずっと親の所為にしてそんなことを続けてるんだよね。じゃあ、ニートが親に迷惑を掛けてるんだとしてもそれとどう違うの?。他の誰かを威圧したり暴力をふるったりするのに比べたらニートの方がまだ平和な気がするかな。
しかも、元不良で更生して真面目に働いてるってことになってる人の中にも、パワハラとかしてるような人がいたりしないの?。それは本当に『更生した』と言えるのかなあ。
そうやってずっと『親の所為』にして反抗期なんてのを当たり前ってことにして、それで『親の所為にするな』なんて、どの口が言うんだろう。
僕は、沙奈子や玲緒奈が僕に対して何か不満があって反抗的な態度を取るのなら、それについてもちゃんと耳を傾けないといけないと思うだけだよ。
完璧じゃないんだから、完璧ではいられないんだから、不満を抱かれることの方が当たり前だし。




