二千三百六 SANA編 「必要じゃない親」
十月二十日。木曜日。晴れ。
『高齢者は切り捨てるべき』なんて考えるってこと自体が、
『社会の役にも立たない大人がそれだけいる』
『社会にとって必要じゃない親がそれだけいる』
と思ってるんだっていう気しかしない。役に立つなら切り捨てられないよね?。感謝したいと敬いたいと思える親なら切り捨てられないよね?。少なくとも『高齢者は切り捨てるべき』と考えてる人はそういう大人や親が社会を圧迫してると認識してるんだよね?。
じゃあどうしてそんな大人や親が偉そうにしてられるんだろう?。そんな大人や親が偉そうにしててどうして信頼して尊敬してもらえると思えるんだろう?。
僕にはそれが不思議で仕方ない。
僕自身は決して立派な人間じゃないから信頼も尊敬もしてもらえなくても当たり前だとしか思わない。だから沙奈子や玲緒奈に感謝してもらえなくても敬ってもらえなくても仕方ないとしか思ってない。
もちろん、感謝してもらえたら嬉しいけど、感謝することを強要するなんて身の程をわきまえない恥ずかしい真似はできないよ。
僕にとって、自分が親であるということはそういうものなんだ。沙奈子や玲緒奈に恩を売れるようなものじゃない。
そういうのをわきまえた上で、人生部の活動をしてる沙奈子たちに、ビデオ通話越しに話し掛ける。
「僕は、自由というものは決して『無法』じゃないと思ってる。『言いたいことも言えないのはおかしい』とか言ってる人が今は多いけど、『意見を述べる』ことと『言葉を選ばない』ことは同一のものじゃないはずなんだ。意見を述べるにしても、言葉は選ばなきゃいけない。その上での『言論の自由』だと僕は思う」
すると、千早ちゃんが、
「ですよね。うちの学校にも好き勝手に言いたいように言うのが自由だと思ってるのがいますけど、そういうのに限って自分が誰かから言いたいように言われたら被害者ぶるんですよ。『言いたいように言えるのが自由じゃないんかい!?』って思います」
口にして、結人くんが、
「だよな。言いたいように言えるってんなら、それに対して他の奴も言いたいように言えなきゃおかしいだろ。自分だけが一方的に言いたいように言えるってのが自由だと勘違いしてる奴が多すぎだっての」
呆れたように言い放った。そこに大希くんが、
「僕もそう思う。『言いたいように言えるのが自由』ってことなら、自分に対して他の人も言いたいように言えるはずだからね」
と加えて、一真くんは、
「そりゃそうか。てことは、俺の両親は『自分だけが一方的に言いたいように言えるのが自由だ』って考えてる典型例だな」
だって。




