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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
2305/2601

二千三百五 SANA編 「生涯現役で」

十月十九日。水曜日。晴れ。




今日はまたなんだか寒くて、朝はエアコンで暖房した。


それはさておき、昨日の、沙奈子たちが通う学校の体育祭は、特に目立ったトラブルもなく無事に終えられたそうだ。ただ、一部の父兄が、周囲の道路に路上駐車していて取り締まりに来た警官と一悶着おこしたらしいというのは、千早ちはやちゃんから聞いた。


「まあ私も友達から聞いた話だからどこまで正確かは分かんないですけど、ホントだったら情けないですよね」


ビデオ通話の画面の中で肩を竦めながら「やれやれ」と頭を振る彼女に、


「まったくだね」


僕もそう言うしかなかった。


そういえば、なんだか、『高齢者は切り捨てるべき』なんてことを口にしてる人もいるらしいね。僕にはそれが強烈な違和感にしかならないんだ。


だって、高齢者って『大人』だよね?。その大人が『切り捨てるべき存在』というのは、どういうこと?。切り捨てなきゃ社会が維持できないくらいに役に立たない大人が多いってこと?。おかしいな。『目上の人間は敬うべき』なんじゃなかったの?。その、敬うべき目上の人間の多くが、切り捨てなきゃ社会が維持できないくらいに駄目な人間だってこと?。


しかも、今の高齢者のほとんどが『誰かの親』なんじゃないの?。その『親』が社会の足を引っ張ってるってこと?。社会が維持できなくなるほど駄目な親が多いってこと?。


『高齢者は切り捨てるべき』なんて発想が出てくること自体が、『親』なんてものがいかに大した存在じゃないってのを如実に物語ってるとしか僕には思えないんだけどな。


僕の両親だって、もう病気で亡くなってるけど、早々に亡くなってくれてて本気でありがたいと感じてるのはまぎれもない本音だよ。そこで嘘を吐いても意味ない。正直な気持ち。


つまり、僕の両親のような親が、社会を圧迫するくらいにいるってことだよね?。『高齢者は切り捨てるべき』なんて発想が出てくるっていうのは、そういうことだよね?。


誰かの親であるはずの高齢者を切り捨てるべきなんて考えられてしまうほど、切り捨てても惜しくない親が多いってことだよね?。


そんな親に感謝しなきゃいけないって、おかしくないかな。僕はおかしいと思う。自分が親だからこそそう思う。僕は沙奈子にも玲緒奈れおなにも感謝してもらいたいとは思ってない。感謝してもらえたら嬉しいのは正直な気持ちでも、『感謝してもらえて当然』だなんて思えない。僕は決して完璧な親じゃないから。


『育ててやったのに』


なんてとても思えない。


だから沙奈子や玲緒奈の世話になろうとも思ってないんだ。できれば生涯現役でいたいと考えてる。何らかの形で仕事をしてね。



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