二百二十八 玲那編 「心の余裕」
沙奈子の朝の勉強が終わる頃、千早ちゃんたちがホットケーキを作りにやってきた。二日連続だけどそういうのは気にならなかった。僕だって山仁さんに沙奈子のことでお世話になりっぱなしだし。
しかし、いつ見ても大希くんって、沙奈子や千早ちゃんと見事に溶け込んでるよなって思った。男の子のはずなのに、ノリや物腰がすごく女の子っぽいっていうわけじゃないのに、違和感なく仲良し三人組って感じになってた。
確かに、外見はいかにも男の子らしい『悪ガキ』って感じじゃなくてすごく中性的で女の子にも見えなくなくはなかった。話し方や仕草も、自分のことを『僕』と呼ぶボーイッシュな女の子って言われればそうかもと思わないこともない。だから女の子と一緒にいても浮いたりしないんだとは思う。
彼がどうしてそんな感じになったのかっていうのを僕なりに考察してみると、やっぱりそれはお父さんである山仁さんの影響が大きいんだと思った。山仁さんの物腰も柔らかくて、しかも、大希くんや沙奈子に向ける表情が、時々、お父さんと言うよりもお母さんって感じのふわっとした包み込むような印象を受けるものだった。大希くんは、そういうところを受け継いでるのかもしれない。
山仁さんは、大希くんに『男らしく』育ってほしいとは思っていないらしかった。人として人を大切にしてくれるなら、『らしさ』っていうものには拘らないみたいだった。それでいて、大希くんはすごく軟弱かって言うとあまりそんな印象もない。言いたいことは言うし、判断を仰がれたりするとその場で決める。思案はするけど決められなくてうじうじと悩み続けるところを見たことがない。
昨日のハンバーグを作ってる時だって、千早ちゃんがミンチとパン粉と玉子を手でこねる段階になると意外と躊躇してたのに比べて、一瞬の迷いもなくガッて手を突っ込んでた。沙奈子もそうだった。そういうところにそれぞれの違いと言うか個性が見えたと感じた。
ちゃんと女の子らしい女の子だって、決断力があったりなかったりするから、思い切りとか決断力みたいなのは『男らしい』『女らしい』とはそれほど関係ないって僕も思うし、山仁さんもそう思ってるんじゃないかな。その辺りも共感できると言うか僕の考えてることに近い気がして、すごく心強いって思ってた。僕と同じように考えてる人がいるだけでホッとできた。
そんな山仁さんに育てられた大希くんが沙奈子の友達だっていうのも、すごく嬉しかった。人間関係についてはどうしても自分から積極的には出られないあの子を受け入れてくれる子がいるというのも心強かった。沙奈子を見ていて気付いたことがある。あの子は、話しかけたいのに話しかけられないっていうタイプじゃなくて、他人に放っておかれることを受け入れてしまう子だった。相手から来ないということは、相手がそれを望んでるっていうのを受け入れてしまうって言うか。
他人と関わらないこと自体がそんなに苦にならないみたいなんだよね。だから、孤立することは沙奈子にとってはそれほど苦にならないみたいだった。それは学校で無理に友達を作らなくても僕がいたからかもしれないけど、だから余計に、そんなこの子と友達になろうとしてくれたことが嬉しかった。しかも、沙奈子と千早ちゃんの間に入って仲を取り持とうとしてくれたっていうのも水谷先生から聞いてる。こんなありがたいことはない。
今はまだ本当に小さな子供でしかない大希くんも、きっと自分の家族を大切にする人に育ってくれる気がする。むしろ、そうじゃない人に育つ要素が見当たらない。いつも楽しそうで朗らかで沙奈子や千早ちゃんのことを気遣ってて。そんな彼だから、星谷さんもあんなに好きになったんだろうなって気がする。今だって、ホットケーキを作る大希くんのことをすごく熱っぽい目で見てる。これが恋する女の子の表情じゃなかったら何なんだって気さえする。
沙奈子や千早ちゃんだって、今はまだ幼いから恋とかそういうのを強く意識してないだけで、思春期に入ったらそれこそ本当に大希くんに対して星谷さんのそれと同じ気持ちを抱くようになっても何も不思議はない気もする。そうなると星谷さんとライバル関係になってしまうのか。僕としては沙奈子を応援するだろうけど、千早ちゃんや星谷さんのことも応援したいって思える。複雑だなあ。
でも今はまだ、ただ仲良しな三人でいてくれればそれでよかった。この子たちならきっと、そういう自分の想いと他人の想いとの折り合いをつけてくれると思う。なんとなく沙奈子は、千早ちゃんや星谷さんの気持ちを優先して身を引きそうな気もするけど。
沙奈子を応援してあげたいのは正直な気持ちとして持ちつつ、この子が決めたことなら認めてあげたい。
大希くんが、沙奈子や千早ちゃんや星谷さんに囲まれてもおろおろしなくて済んでるのは、彼にそれだけ余裕があるからじゃないかな。お父さんである山仁さんが彼の全てを受けとめてくれてるからこそ、他人に認めてもらおうと必死にならずに済んでて、だから自分のことを認めてくれる相手を求めて目移りするようなことがなくて、ただ気の合う仲間として同じように受け入れてるから、沙奈子や千早ちゃんも安心して一緒にいられるのかもしれない。そして星谷さんは、彼のそういう器の大きさを感じて、6歳も年下にも拘らず彼のことを一人の男性として見ることができてるって感じもする。
それらは全部、僕が大希くんの姿を見てて感じたことであって、どこまで正確かは分からない。だけどそう考えると辻褄が合うって思える。逆にそうでないと、彼のこの裏表のない真っ直ぐさがどこから来るのか分からない。まだまだ甘えたかったはずのお母さんを亡くして、しかももうお母さんの顔さえ写真でしか覚えてないくらいに時間も経ってしまって、でもそういう辛い境遇を感じさせない明るくて朗らかで大らかな彼がどうやって出来上がってるのかっていうことの説明がつかない。
子供は勝手に育っていくわけじゃないっていうのを、何もかもわけが分からない状態で必死に沙奈子のことを見てきて分かった気がする。僕がやったこと、僕が選んだこと、僕があの子に見せてきたことが、今の沙奈子を作ったんだ。本当にたまたま上手くいっただけっていうのはあるけど、でもすべて、僕が沙奈子に影響を与えてきたんだ。それを思うと、ものすごく怖いっていうのが込み上げてくる。何をどうすればいいのか分からずにやってきたわけだから、何か失敗したらどう取り返せばよかったのかも分からない状態なわけで、こんなのでよくここまでこれたなっていうのが骨身に沁みた。
知らず知らず夢中になって歩いてきた道を振り返ってみたら、実はとんでもない綱渡りだったことに改めて気付いて、今になって恐怖心が込み上げてきてるって感じかもしれないっていうのを、僕は思い知らされてたのだった。




