二千二百五十六 SANA編 「異世界に転生して」
三十一日。水曜日。晴れ。
今の社会を見てると、確かに、
『信頼できる大人が少なすぎる』
気は僕だってする。政治家だって、とにかく信頼できないのがほとんどだって印象はある。与党野党関係なく。
でも、だからこそ、信頼できない大人の行状が目につくからって自分までそんな大人たちと同じでいていいとは思わないんだ。政治がどれほど信頼できなくたって生きてる以上は生きていかなきゃいけないし、沙奈子や玲緒奈に対して『信頼できない大人の見本』そのものに自分がなっていいなんて、ただの『甘え』だからね。
『周りがみんなそうだから自分もちゃんとなんてやってられない!』
とか考えるのは、典型的な、
『他人の所為、社会の所為にしてる』
ってものだよね?。周りがどんなにいい加減でも、自分までそうなっていいわけじゃないはずだけどな。
『他人の所為、社会の所為にするな!』
とか言うんならなおさら。
『他人の所為、社会の所為にするな!』と自分は声高に叫ぶのに、実際には、『相手が原因を作ったから』『みんなそうしてるから』と言い訳並べて自分も好ましくない振る舞いをしていいと考えてるとか、本当に情けないよ。
だから僕は誰かを罵っていいとは考えないし、攻撃していいとも考えないんだ。批判をするにしても言葉は選ばなくちゃいけないと思ってる。
同時に、利用できるものは利用しつつも、『なんでも自分の思い通りになるのが当たり前』とも考えない。
ましてや、自分が上手くいかない原因を、『悪の秘密組織が暗躍している所為』にしようなんて思わない。自分が普段から誰かを嘲って見下して蔑んで疎かにしてるからそれが自分に返ってきてるだけなのを、
『社会が自分を蔑ろにしてる』
とか考えようとも思わない。自分が信頼されないのは自分の普段の行いが信頼に値しないからだっていうのを自覚しない大人ではいたくない。僕がそんな姿を見せてれば、沙奈子や玲緒奈も『それでいいんだ』って思ってしまうだろうからね。
親がそんな姿を子供の前で見せてて、どうして子供が『周りから信頼される人としての振る舞いができるようになる』と思えるの?。親が『周りから信頼されない振る舞いをしてる』のに、それを見て育って子供が『周りから信頼される振る舞い』が当たり前のようにできるなんて、そんなムシのいい話がどうしてあると思えるんだろう。
『親として努力しなくても子供はちゃんと育ってくれる』
なんて、玲那曰く、
「異世界に転生してチート特典貰って無双するってくらいに、笑っちゃうほど都合のいい話だよね」
っていうくらいのことだと、僕も思うよ。




