二千二百五十五 SANA編 「人類を根絶やしに」
八月三十日。火曜日。雨のち曇り。
『ワクチンのふりをした毒で人類を根絶やしにする』
そんなことが本当にできるなら、人道支援を行っているような人たちが、支援のために現地に赴く際にいろんなワクチンを打っていったりしていられるのはなぜ?。
それこそ様々なワクチンを打っていってるよね?。海外渡航する人も、渡航前にワクチンを打っていったりしてるよね?。今の時代、そうやってたくさんの人が散々、いろんな理由やタイミングでワクチンを打っているのに、どうして今まで『ワクチンのふりをした毒』をそういう人たちに打ってこなかったの?。『ワクチンのふりをした毒で人類を根絶やしにする』なんてことを目的に暗躍してる謎の組織みたいのがあるのなら。
医療従事者はそれこそ何らかの形でワクチンを打つ機会が多いはずだし、医療従事者をそういう形で死に追いやれば、簡単に世界は大混乱に陥ると思うんだけどな。どうして今までそうしなかったの?。
医療従事者でなくても、日本だとそれこそ、日本脳炎や麻疹や風疹や破傷風といった各種ワクチンを生まれてからいくつもいくつも打ってきてるのに、どうしてそこに『ワクチンのふりをした毒』を紛れ込ませてこなかったの?。ねえ、どうして?。
それが今になって『打って二年で死ぬワクチンのふりをした毒』なんてものを開発して世界に広めようなんて、なんでそんなことを思い付いちゃったの?。これまでにもそんなチャンス、いくらでもあったはずなのに。
「分かりやすい典型的な『ご都合主義』だよね。フィクションだとそんなご都合主義は作劇上の演出として許されてるから、フィクションにどっぷりと浸かって成長した人間にとっちゃ、『自分に都合のいいご都合主義』だとそんなに不自然に感じないんじゃないかなあ」
玲那がそんなことを口にする。僕も、
「なるほど」
と思った。僕はあまりフィクションそのものに興味がないからか、『どうして今になってそんな都合よく秘密組織が暗躍し始めたの?』と違和感しか覚えないけど、そういうフィクションに日常的に触れてきた人には、それが違和感にならないこともあるのか。
フィクションを楽しむのはいいにしても、フィクションと現実の区別は付けられないと、ただの害悪にしかならないと思うんだけどな。
「私はフィクションを楽しみたいからこそ、現実と区別を付けなきゃいけないと思ってる」
改めて玲那はそう言った。
「だね。その区別が付けられなくなったら、それこそフィクションは規制されなきゃいけなくなる気が僕もするよ」




