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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二百二十四 玲那編 「仕事始め」

それから四日までは、本当に毎日同じことの繰り返しだった。実に何もない、のんびりまったりとしたいい毎日だった。おせちを食べて、絵里奈が作ったお雑煮を食べて、みんなで掃除して洗濯して沙奈子の勉強を見て買い物に行ってお昼を食べてまた勉強して裁縫して夕食を食べてお風呂に入って寛いでみんなで寝てという、とにかく普通の毎日だった。それが心地好くて、あっという間に過ぎて行った。


で、今日はもう五日。木曜日。仕事始めだ。月曜日が成人の日だから沙奈子は月曜日まで休みだけど、今日と明日、また山仁やまひとさんのところに朝から夕方までお世話になることになる。


「明けましておめでとうございます」


山仁さんのところに沙奈子を連れて行って、出迎えてくれた山仁さんと大希くんに新年の挨拶をした。


「明けましておめでとうございます」


と返してくれた二人の横に並んで、沙奈子は僕たちに手を振った。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


ってやり取りをして、僕と絵里奈はバス停に向かい、玲那は3代目黒龍号を取りにアパートへと戻った。


だけど、いつもの通りにオフィスに行くと、何か妙な雰囲気になっているのを僕は感じた。同僚たちが何かひそひそと話をしてる。そこに上司がやってきて、その口から信じられない言葉を聞いたのだった。


英田あいだ君が、12月の末日をもって退職となった。求人はかけてるが、しばらくは抜けた穴を皆でカバーしてもらうことになるからそのつもりで」


…え?。英田さんが…?。どうして…?。


上司の話によると、英田さんは今、入院してるらしかった。しかも、上司はそこまで触れなかったけど、同僚たちが話してる内容が僕の耳にも届いてきて、さらに驚かされていた。


と言うのも、あくまで知り合いから聞いた話という前置きをした上でのこととして、奥さんが洗剤を混ぜて塩素ガスを発生させて自殺を図って、それを助けようとした英田さんもガスを吸って意識を失ったって話だったから。その話に、僕はハッとなっていた。


って、それ、この前にニュースでやってた事故じゃないのか?。自殺…?。あれは、事故じゃなくて奥さんの自殺未遂ってことだったのか…?。


それが事実かどうかは分からない。ニュースではあくまで事故っていう形で報道されてた。『会社員の男性宅で謝って洗剤が混ざってしまって塩素ガスが発生、男性とその奥さんが緊急搬送され、奥さんは一時心肺停止状態までなったもののその後は回復、男性も重症だが命に別状はない』っていう話で、名前は出てこなかったけどそれがまさか英田さんだったってこと…?。


混乱する頭で僕は考えてた。もし奥さんの自殺未遂が本当だとしたら、やっぱりお子さんが事故で亡くなったことが原因なんだろうか。って…。


僕がそれを詮索しても意味がないのは分かってる。だけどもしそれが本当だとしたら、お子さんが事故で亡くなったという大きな不幸が、今回の不幸の原因になったと言えるのかもしれないとは思ってしまった。


そして、年が明けたらまた会えるだろうと思っていた英田さんとはそれきり顔を合わすこともなかった。会社に残されていた私物は英田さんの親戚の人が受け取りに来て、本人は来なかった。


だけど、オフィス内には、英田さんのことを心配しているような雰囲気はなかった。上司も、「まったく、面倒なことをやってくれたもんだ」とボソッと呟いたのが耳に届いてきて、情けない気分になってしまった。どうして、そんな風に言えるんだ?。人が苦しんでることがそんなに迷惑なのか?。くそ…!。


なんて思ってみたけど、僕だって結局は、他人事としか感じてないのは変わらなかった。もしこれが絵里奈や玲那のことだったらこんな冷静でいられないと思う。でも僕は今、いたって冷静だ。多少は腹を立てても、そこまででしかない。誰にもそのことで噛みついたり『おかしいだろ!』と声を荒げたりもしない。だって僕にとってはそこまでするほどのことじゃないから…。


自分が薄情な人間だということを思い知らされつつ、淡々と仕事をこなした。英田さんの分が僕にも振り分けられたから、それを片付けないといけないから。


昼休み、社員食堂に行くと、絵里奈と玲那が沈んだ顔をしてた。もちろん、英田さんのことを聞いたからだった。


「どうして…、どうしてこんな…」


絵里奈が両手で顔を覆って絞り出すように言った。その頬を涙が伝ってた。玲那も、泣いたりはしなかったけど、どこか悔しそうな顔をしてた。何が悔しいのかよく分からないけどとにかく悔しいっていう顔だと思った。それはたぶん、僕と同じ顔だった気がする。


僕たちはそれ以上、会話らしい会話もなく、食欲もなかったけどとにかく昼食を済ましていた。


午後の仕事も残業も、もうとにかく淡々と済ますしかなかった。下手に考えると余計な感情まで呼び覚まされそうで怖くて無視した。僕にはとにかく与えられた仕事をこなすしかできない。それしかないと言い聞かせた。


家に帰ったら、沙奈子と絵里奈が「おかえりなさい」と迎えてくれた。絵里奈も普通の様子だった。僕も、沙奈子の前ではなるべく普通にしようと思ってた。でも…。


「お父さん、お母さん、どうしたの…?」


お風呂から上がって座椅子に座ろうとした僕に、沙奈子がそう聞いてきた。不安そうな、心配そうな顔だった。やっぱりこの子には、そういうのが分かってしまうんだと改めて思った。


「ごめん…、心配かけてしまったかな。実はお父さんの会社の人が事故でお仕事続けられなくなってね。それが心配だったんだ」


オブラートには包みつつ、でもなるべく本当に近い形で沙奈子にはそう説明した。何しろ、英田さんの奥さんの自殺未遂の件が本当かどうかも分からないんだ。分かっているのは事故だと発表されてるっていうことだけ。だからそう言った。


すると沙奈子は、「かわいそう…」って、悲しそうな顔で呟くように言った。本当に…、本当に優しい子だなって思った。だから僕は抱き締めていた。そうするしかできなかった。


でもその時、玄関の鍵が開けられる音がして、ハッとなって顔を上げた。視線を向けたそこには、青白い顔をした玲那が立っていた。


「ごめん、一人でいるのが我慢できなくって…」


って…。そうか…。いいよ、無理しなくていい。一人でいたくないんなら一緒にいよう。だって僕たちは家族なんだから…。辛い時には一緒にいればいい。


本当、どうして世の中には、こんなに辛いことがたくさんあるんだろうな…。命が助かっただけでも良かったって思わなきゃいけないのかな。だけど、もし、自殺未遂というのが本当なら、命が助かっただけじゃ救いにはならないんじゃないかな。


そんなことが頭をよぎったけど、それを言葉にはできないまま、沙奈子と絵里奈と玲那を抱き締めてたのだった。


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