二千二百十七 SANA編 「身勝手なマイルール」
七月二十三日。土曜日。曇り。
『自らは法律さえ守らないのに、自分勝手に決めたマイルールを子供や家族に押し付けてそれを守らなかったらキレる』
そんな大人が多いことに本当に驚かされる。どうしてそんな自分自身の姿を省みようとしないの?。そんなに自分自身の姿を客観的に見るのが怖いの?。自分が法律さえ守らない人間であることを認める勇気もないの?。
そういう大人がどんなに立派なことを口にしてたって耳を傾ける気になれないのは、ニュースとかで報道される大人の行状を見てたら分かると思うのに、自分はそれに当てはまらないと考えたいんだね。
どうして自分を省みるということができないんだろう。僕は自分を省みた上で、できることはやらなくちゃと思うし、自分にはできないことについては他の方法を考えなきゃと思うだけなんだけどな。できない自分を卑下してても問題は解決しない。僕は、
『他の誰かを欺いて蹴落として自分が利益を得る』
なんてことはできないししたくもない。そんなことをしてまでいい暮らしをしたいと思える人間にはなれないんだ。僕にはそれは『できない』んだよ。
だけどそれは僕が『善人』だからじゃない。それをすることで恨みを買って自分の日常が乱されるのが嫌なだけなんだ。
『恨みを買って自分の日常が乱されることと引き換えにいい暮らしを得るのを価値だと考えることができない』
だけなんだ。世の中には、そう考えることができてしまう人がいるみたいだけどね。誰かを騙してお金を集める人とか、カルト教団を運営してる人とか。
僕はそんなことをしていい暮らしをしてる人がいても、それを羨ましいと感じることができないんだよ。だから僕はそういう形で裕福にはなれないと思う。
でも、それでいい。毎日の食事にさえ困るほどに窮しなければ、穏やかに暮らしていけることを望む。今の家族と穏やかに暮らしていくことが僕の望みだ。
それと同時に、世の中には、『他の人を欺いて自分が利益を得ようとする人』がいることも事実だとわきまえて、そういうのに関わらないようにする努力も忘れちゃいけないと思ってる。
『狡い人が得をする世の中』であることを望む人は、本当に多いからね。
『自分は法律も守らないのに、子供や家族には身勝手なマイルールを押し付けて守らせようとする人』
というのも、『狡い人』だ。自分がそうしてるのを『当たり前』だと考えてる人は、『狡い人が得をする世の中であることを望む人』だと思う。そうじゃなきゃ、自分のそういう狡い振る舞いを肯定できるはずがないからね。




