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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
2214/2601

二千二百十四 SANA編 「ここにいる意味は」

七月二十日。水曜日。晴れ。




今日は沙奈子たちが通う学校の終業式。明日からは夏休みだ。一応、夏期講習もあるそうだけど、沙奈子たちは『自主学習』という形の方が捗ることもあって、そちらには参加しない。


改めて、


『どうしてカルト宗教に依存するの?』


というのを考えてみる。『安らぎ』や『救い』を求めるなら、僕たちにとっては何の魅力も感じない。だって、今ここにある関係が一番安らげるし救いになってるから。


同時に、


『自分が必要とされている場所に依存してしまう』


場合もある気がする。だけどこれって、


『ブラックな職場なのに自分が必要とされてることでそれを捨てることができない』


のと似てる気がする。そう考えると、『ブラックな職場』と『カルト宗教』って、本質的には近いものがあるのかな?。


『甘言や脅迫で抜け出せないようにする』


みたいな部分も共通してる気がするし。


むしろ、ブラックな職場というものがカルト宗教のロジックを利用して作られてる感じ?。


だとすると、僕が前の職場を辞められたのは『カルト宗教から抜けられた』のに近い話だったりしてね。じゃあ、


『カルト宗教よりも魅力的な何か』


があれば抜けられるのかも。その一方で、『やりがい』とか『生きがい』とか『自分が必要とされている実感』とかについては、一度それを感じてしまったら、


『他にそれを満たしてくれるものが本当にあるの?』


みたいに思えてしまって、振り切るのは難しいのかもしれないな。


僕たちの関係も、『安らぎ』や『癒し』といった点については唯一無二だと感じてる。何も他にそんなものを探す必要はないくらいにね。だけどその一方で、


『自分がここで必要とされている実感』


という話になると、もちろんみんな必要とされてるんだけど、『実感』としてそれがあるかと言われたら、正直なところ微妙かもしれない。


『君に辞められたら困る!』


的な引き留めがされて思いとどまってしまうような感じじゃないのは事実かな。だからその辺りを突かれるともしかすると揺らいでしまう部分もないわけじゃないのか。


だけど、『必要かどうか?』って言われたらやっぱり『必要』なんだよ。みんなここに必要なんだ。今の僕たちがあるのはみんながいてくれたからだ。それも事実のはずなんだ。『要らない人』なんていない。いないんだよ。


それでいて、どうそのことを実感として得てもらうかについては、もしかすると考えないといけないのかもしれないな。


沙奈子や玲緒奈れおなに、


『私がここにいる意味は本当にあるの?』


みたいに聞かれた時にどう答えたらいいのかを考えなくちゃいけないかな。



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