二千二百十一 SANA編 「相手の思い通りには」
七月十七日。日曜日。曇り。
僕たちは、自分の人生をオカルトでどうにかしようとは思わない。人間の世界で起こることは、自然現象以外はすべて、『人間の思考』『人間の感情』『人間の行い』が原因になって引き起こされるものだ。そこにオカルトが入り込む余地はない。
自分が努力しても上手くできないのは努力の仕方が適切じゃないことが結局は原因だし、そもそも能力が不足してたり必要な能力そのものが備わってなかったのならその事実を受け止めて別の方法を探すべきだし、そこで誰かの所為にして感情的になっても何も問題は解決しない。
子供が自分以外の誰かを人間として接しようとしないなら、それは親である自分が『人間としての振る舞い方』『人間としての在り方』『人間との接し方』の手本をちゃんと示せてなかったから子供がそういうのを学べなかっただけだと今なら分かる。玲緒奈がそれを改めて僕に教えてくれた。
いずれ僕たちが玲緒奈に示したことと他所の子が親から学び取ったことの間にズレがあってそれが『認識のズレ』になってうまく噛み合わなかったとしても、何より大前提として、
『自分と他の人は別の人間』
『別の人間が自分とまったく同じ考えを持つことはない』
というのをしっかりと分かってもらえてれば、そんなに深刻な齟齬にはならないと思う。
『相手が自分にとって都合よく振る舞ってくれるはず』
なんて期待してるからほとんどの場合でその通りにならなくてそれで苛々してしまったりショックを受けてしまったりするんだろうからね。
たとえ血の繋がった親子であっても、僕と玲緒奈は間違いなく『別の人間』だ。だから当然、僕の思い通りにはなってくれない。『思い通りになってくれないのがデフォルト』だとわきまえてれば、苛々する必要もショックを受ける必要もないよ。
だって、『完全に相手の思い通りには振る舞えない』のは、自分自身も同じなんだから。
僕は玲緒奈の思い通りには振る舞えない。なるべく希望に沿うことを心掛けてても、すべてを完璧にその通りにはできないんだ。玲緒奈が、打ち合わせのため出勤しようとしてる僕を引き留めようとしてもそれには応えられないんだからね。
自分がそうなのに、相手に自分の都合をすべて聞き入れてもらおうなんて、甘えが過ぎるよね。玲緒奈が僕の都合に完全に合わせてくれるなんて、ただのオカルトだと思う。
そんな都合のいい現実は有り得ない。現実はフィクションじゃない。それをわきまえてれば、自分の思い通りにならない中で折り合いをつける方法も探せると思うんだけどな。




