二千二百九 SANA編 「オカルトに答を」
七月十五日。金曜日。曇り時々雨。
例の事件については、容疑者の供述が出てくるごとに逆にあれこれ憶測が飛び交うようになってしまったらしくて、僕たちにはもう訳が分からなくなったから、敢えて深掘りしようとするのはやめることにした。容疑者の背景についても、僕たちは元々、オカルトに頼ることは避けてるから、最初から距離を置いてるし、関わろうとも思わない。オカルトに頼らなくても自分たちが置かれてる状況を客観的に把握する判断する用意は整ってる。
いまだに多くの人がその現実と向き合おうとしない、
『子供をこの世に送り出したのは何をどう言い訳しても親の勝手』
だということとさえ向き合えるようになったら、運命とかなんとかはまったく怖くなくなったよ。人間が犯す過ちはすべて人間の思考がもたらすものだってことも分かったしね。
玲緒奈にどれだけ苦労させられたところで手を焼かされたところでそれは僕と絵里奈が彼女をこの世に送り出したことが原因だし、彼女が僕たちの都合に合わせてくれないのは成長の途中だからでしかない。『人間としての生き方や在り方』については、玲緒奈は今まさに絶賛習熟中なんだ。だから上手くできないだけ。
僕だって赤ん坊の頃はそうだった。その当たり前のことを受け止められれば、玲緒奈が僕の言いなりになってくれなくても当たり前だとしか思わない。彼女にはまだ僕の言ってることが理解できてないだけだから。少しずつ理解でき始めてはいるみたいだけど、『言葉の意味を理解できること』と『言葉に込められた意図を理解できること』は、必ずしもイコールじゃない。大人だって、相手の言ってることを理解できない人や理解しようとしない人はいるよね。だったら、まだ二歳にもなってない玲緒奈が『意図』を理解できなくても何の不思議もないよ。
それでいて、言葉が少しずつ理解でき始めているように、徐々に徐々に意図についても理解できるようになっていくはずだよ。僕はただそれを待つだけ。そして、『相手に意図を伝える努力』をするだけ。『相手に意図を伝える努力をする手本』を玲緒奈に見せていくだけ。それ以外にやりようもない。何かのオカルトで何でも上手くいくようになるとか、漫画やアニメや小説じゃないんだから、そんなことを信じる方がどうかしてる。
僕はそのことについても、玲緒奈に対して手本を示していく。彼女がオカルトに答を求めなくてもいいように。現実の中で現実に即した対処をすることで、地道に問題に対処していく方法を教えていかなくちゃと思うんだ。
親としてね。




