二千二百八 SANA編 「暴力を厭う気持ち」
七月十四日。木曜日。曇り時々雨。
『暴力が問題を解決した』
って考え方には、僕はまったく共感できない。『身を守るために力を使う』ことはあっても、それはあくまで『身を守ること』が目的であって『問題の解決』が目的じゃないと思うんだけどな。
だって、戦争が終わる時も、結局のところ最終的には『停戦協定』とかを結ぶんだよね?。
『暴力で相手を屈服させたからだ!』
とか言うかもしれないけど、そういうのさえ、
『これ以上戦争が長引くのはもうこりごり』
みたいに相手が考えるから終わるんだよね?。それは相手が『暴力を否定した』から、『暴力を厭った』から、そう考えるんだよね?。暴力で解決できると本気で思ってるなら、最後の一人が死に絶えるまで抵抗するんじゃないの?。
そして、『最後の一人まで殺しつくす』なんてことが歴史上達成された事例が、そんなにあった?。大変な大虐殺を行った独裁者であっても、『全員を』『一人残らず』『完全に』殺し尽くせたことがそんなにあったの?。有名な独裁者による大量虐殺事案にしても、その目的が完全に達成されたことが多数なの?。
暴力で相手を屈服させようとしても、相手が暴力を厭わなきゃ『参った』って言わないんじゃないの?。暴力に曝されることが嫌だから屈服するんだよね?。つまり、
『相手が暴力を否定してくれないといつまでも終わらない』
はずだけど?。どうしてその事実から目を背けるの?。
実際に近年でも、
『テロを行ってると大国が認定した組織が台頭してた国とかをどうにかしようと大変な兵器や兵士や戦費を投じてたのに、そのテロ組織が勢力を持ち直して国の実権を握った』
なんてことがあったりしたよね。
その他にも、
『横暴な大国相手にテロという形で抵抗してたけど逆に戦争を起こされた』
という事例もあるよね。何も解決してないと思うんだけどな。しかも、戦争が終わったとしても、本当に問題が解決すると思う?。なにより、なぜ『戦争が終わる』のか、考えてみるべきだと思う。
『暴力が問題を解決する』
なんて嘘だ。最終的に暴力を厭う気持ちがないと衝突は終わらない。テロがいつまでも続くのだって、テロを行ってる側が暴力を肯定してるからのはずだよ。
何より暴力そのものが恨みや憎しみの原因になっている。テロを起こした犯人への恨みや憎しみは、犯人がテロという暴力で何とかしようとしたからだよね。
玲那が実の父親を刺してしまったのも、暴力と理不尽な支配があったことで恨みや憎しみが醸成されたからだし。
とにかく、『最終的に暴力を厭う気持ちがないと衝突は終わらない』のが事実である以上は、何も解決なんかしないんじゃないの?。




