二百二十 玲那編 「もし、生まれ変わりがあるのなら」
香保理さん。絵里奈と玲那の友達、いや、恩人であるところの、リストカッターの女性…。彼女がいなかったら、絵里奈や玲那だってどうなっていたのか…。たとえそれなりの人生を送れていたとしても、少なくとも僕たちは出会っていない気がする。だから、僕や沙奈子にとっても香保理さんは恩人なんだと思う。
一度も会ったこともないけど、顔すら知らないけど、僕たちにとってはとても大切な存在だったって思える。
僕は、そんな彼女に恩を返すこともできないんだな……。
そう思うと、なんだかとても悔しかった。生きてさえいてくれたら…。ああでも、彼女がもし今でも生きていたら、やっぱり僕たちは出会ってなかったかも知れない。彼女が亡くなったからこそ、絵里奈と玲那はあれほどまで沙奈子のことを気にかけてくれたんだから…。
でも、だからこそ悔しいな…。彼女が亡くならなかったら今の僕たちはなかったのかもしれないと思うと、たまらなく悔しい。僕たちが出会うために彼女の犠牲が必要だったなんて思いたくないけど、それがこの結果をもたらしたのも事実なんだ…。
僕の膝に座って莉奈の新しい服作りを始めた沙奈子と、その沙奈子を見守る絵里奈を見ながら、僕はとにかく悔しさを噛み締めていた。こんなにも大きな恩がある香保理さんに何もしてあげられないことが悔しくて仕方なかった。
悔しくて悔しくて、それをどうにかできないのかなと思った時、僕はある考えに辿り着いていた。
そして10時過ぎになって三人で布団にもぐって、沙奈子が寝息を立て始めてから、僕は絵里奈に静かに話しかけた。
「絵里奈…。叔父さんのところにも挨拶に行かないといけないけど、香保理さんのところにも挨拶に行かないといけないね…」
僕のその言葉に、絵里奈はハッとした表情をしてそして目に涙をいっぱい溜めて、
「…そうですね…、必要ですね…」
と応えた。そんな絵里奈に、僕はさらに言った。
「僕と絵里奈の赤ちゃんが、香保理さんの生まれ変わりだったらいいなって思うんだけど、絵里奈はどう思う…?」
この時の絵里奈は、両手で顔を覆って、ただ黙って頷くしかできなかったようだった。ポロポロと涙が零れ落ちるのが見えた。絵里奈も僕と同じように思ってくれてるんだって感じた。
僕は、生まれ変わりとか信じない。そんなオカルトに興味はない。信じないけど、興味もないけど、それでも……。
それでも、もし…、もしもだよ。もし本当に、生まれ変わりなんてものがあるんだとしたら、生まれ変わることができるんだとしたら、その時は、僕たちのところに来てほしい。僕は素直にそう思った。
そうすればきっと、今度こそ、リストカットで自分が生きてることを確かめようとしなくても済む人生を送らせてあげられるんじゃないかな。だからもし、生まれ変わることができるんなら、そんなことがあるとするなら、絵里奈の赤ちゃんとして僕たちのところに来てくれたらいい。来てくれたら、僕と絵里奈と玲那と沙奈子が、今度こそ守ってあげるから。
僕は、心の中で感謝していた。
『香保理さん…。絵里奈と玲那を守ってくれてありがとう……』
そして思った。
『だから今度は、僕たちにあなたを守らせてください……』
金曜日。今日は30日。玲那は午前中に帰ってくるって言ってたな。
それまでに三人で朝食を済まして掃除を済まして、昨日干していた洗濯物を取り入れてみんなで片付けた。
この小さな部屋をいつも四人で手分けして掃除してたからか、大掃除とかの必要はなかった。大掃除してまで綺麗にしないといけないほど汚れてなかった。だからいつも通りにやるだけだ。
家のことが終わって沙奈子の午前の勉強をしてるところに、玲那が帰ってきた。
「ただいま~」
玄関を開けててにこやかにそう言った彼女に、僕たち三人も、
「おかえり~」
と明るく返した。すると玲那の後ろに、知らない女性が立ってて、僕と目が合って頭を下げた。二人?、三人?、いやもっといるのか。なるほどこの子たちが玲那のアニメ友達ってことか。そして玲那は、
「顔見せに来ただけだから。じゃ、オフ会行ってきま~す」
と言ってドアを閉めた。その様子に、机の上の兵長の顔も何となく呆れてるように見えた気がした。玲那は昨日、兵長を連れて行かずにうちで留守番させていたのにこれだもんな。沙奈子もきょとんとしてた。
「さっきの子たちが、玲那のオタ仲間の子たちですね」
絵里奈の言葉に、ああ、やっぱりと思った。さてはうちの近くのコンビニ辺りで待ち合わせして、うちには顔だけ出してすぐに行くという段取りだったんだな。昼食はもう、そのオフ会とやらで済ますということなんだろう。
と考えていたら、
「こんにちは~、じゃ、そろそろ行きましょうか~」
って声が外から聞こえてきた。秋嶋さんたちに声を掛けたってことなんだろうな。すると上の階でもドアが開閉される気配がしてきて、何人かが階段を下りる音もしてきて、結構な人の気配がして、そしてそれが遠ざかっていく気配がしてた。すぐ近所にカラオケボックスがあるから、そこを予約してたってことか。
完全に気配が消えると、今度はやけにしーんとした感じがした。このアパートの他の部屋の人達全員とってことなら、今、このアパートにはそれこそ僕たちしかいないというわけで、そうなると当然、静かになるわけか。と言っても、普段からほとんど人の気配はしないアパートだけどさ。
それにしてもやれやれだな、まったく。まあでも、楽しそうで何よりって思うべきかな。香保理さんが守ってくれたおかげで、心を閉ざしてた玲那を救ってくれたおかげで、あんな風にしてられるんだもんな。
そう思うとやっぱり香保理さんに対する感謝の気持ちが湧いてくる。一度も言葉を交わしたこともない人にこんな風に感じるのも何だか不思議だけど、でもすごく大事なことのような気がする。
香保理さん、玲那はこんなに元気にやってますよ。これこそが、あなたが生きていた証拠でしょう。あなたがいたから、今の玲那がいるんです。あなたの人生は決して楽なものじゃなかったかも知れません。だけど、それがちゃんとこうして繋がっています。それが沙奈子にも繋がってるんです。あなたの命はこうして受け継がれています…。
それは、ただの気休めかもしれない。生きてる人間が亡くなった人のことを悼み、残された自分たちの辛い気持ちを慰めるためにこじつけてるだけのことなのかもしれない。でも、香保理さんの選択が今に繋がってるんだっていうことは間違いないはずなんだ。香保理さんの選択がなかったら、きっと今の僕たちはいなかった。
そう思うと、本当にすごいな。そういうことがずっとずっと繋がっていくんだ。僕の選択も、僕が死んだ後にもきっと続いていくんだと思う。それがすごく分かる気がしてたのだった。




