二千百九十 SANA編 「僕たち自身の在り方」
六月二十六日。日曜日。晴れ。
残念ながら今年も海に行くのは中止ということになった。昨今の情勢を考えると、無理をする必要もないから。今のこの状況を不満に感じてる人はいろいろ言ってるけど、そんな『個人の主観に基づいた憶測』『個人の主観に基づいた個人的な意見』を聞き入れなきゃいけない理由もない。僕たちは僕たちの責任において僕たち自身の在り方を考えるだけだよ。
それができない人は、責任も負ってくれないどこかの誰かの意見を鵜呑みにするしかないのかもしれないけど。
「まあ残念だけど、万が一のことがあったら嫌だしね」
千早ちゃんもそう言って理解は示してくれている。大希くんや結人くんは、
「僕は元々どっちでもいいし」
「どうでもいい」
って言ってて、一真くんは、
「そもそも海になんて行けるとも思ってなかったしな」
と、記憶にある限りでは海に連れて行ってもらえたこともなかったそうだ。もっとも、
「あんな両親が子供を海に連れて行ったらロクなことにならないだろうなとしか思わないし、逆に良かったって思ってる。もしかしたら俺も琴美もここにいなかったかもしないしな」
とも言ってたから、
『確かに』
って感じてしまった。僕の両親も、兄のために海には行ったけど、僕に対してはほとんど意識を向けていなかった。たまたま僕が勝手な行動をするようなタイプじゃなかったこともあって事故にならなかっただけで、目を離した隙にパッとどこかに行ってしまうような子供だったら、それこそ僕もここにはいなかったかもしれない。
そういうことが十分に有り得る親だったと、今だからこそ余計に思う。僕が沙奈子を海に連れて行った時にライフジャケットを着せていたのは、その反動もあるのかもしれない。自分の親を反面教師にすればこその発想だった可能性もあるかな。
過干渉はしないようにしなきゃと思ってる。だけどそれは、『子供のことを見てなくていい』『子供のことを放っておいていい』という意味じゃ決してないはずなんだ。ましてや、親の側が『楽をしたい』『手を抜きたい』『自分の楽しみを優先したい』というのを正当化するために『過保護はよくない』とか言ってるのなんてそれこそ言語道断だとしか思わない。
あくまで過干渉は避けつつ、でも意識は常に向けていることを心掛ける。その上で、完璧に一瞬も目を離さずにいられるわけじゃないという現実も踏まえて、安全対策はしておかなきゃと思うんだ。それを怠るのはただの無責任だとしか思わない。そんなことをしていて子供に対して手本を示せるとは思わないよ。




