二百十一 玲那編 「デート?」
『私、行きたいところがあるんです』
絵里奈の言葉は、僕にとっては渡りに船だった。情けないけど、何も思い付かなかったから絵里奈に決めてもらえたら助かると思ってしまった。
そして絵里奈について行くように歩いていた僕は、彼女が立ち止まったそこを見てハッとなっていた。
ここって…。
ラブホテルだった。あの、いつものスーパーのすぐ近所のラブホテルだ。ラブホテルと言っても、いかにもな外観はしてなかった。よく言えば落ち着いた、悪く言えば地味な感じの建物だけど、案内板のそれが完全にラブホテルのものだから決してビジネスホテルとかじゃないっていうのが分かってしまう作りだった。
戸惑う僕を引っ張るようにして、絵里奈がビニールの暖簾のようなのをくぐって中に入った。
受付らしいところには人がいなくて、その代わり部屋の中を写したらしい写真が並んでいた。全部の写真に大きくベッドが写っていた。もうそれを見ただけで、ベッドで部屋を選べって言ってるのが分かる感じだった。しかも写真にボタンが点いていて、バックライトが消えてる写真のボタンもライトが消えていた。なるほど、そこは使用中っていうことか。見れば、八割方ライトが消えていた。それってつまり…。
呆然としてる僕の前で、絵里奈がライトの点いてる部屋のボタンを押した。すると、写真の下から鍵が出て来た。この鍵でその部屋に入れってことなのか。しかも、案内板らしきものに矢印が点滅してた。それに従って進む絵里奈の後ろを僕はついて行った。八割方部屋は埋まってるはずなのに、不思議と人の気配もしないし誰ともすれ違わなかった。床にも矢印が点滅しててその通り進むと、ドアの脇のライトが点滅してる部屋があった。鍵に書かれた番号と同じ番号の部屋だった。ここか。
絵里奈がカギを開けてドアを開けると中の照明が自動で点灯した。そこは、空間のかなりの部分を占めていそうな大きなベッドとやたらと大きな鏡が全部の壁に掛けられてるのが目に付く部屋だった。なんかもう、いかにもって感じだと思った。
「思ってたよりは普通な感じなんですね…」
僕と同じように部屋をきょろきょろと見まわしてた絵里奈がそう呟いた。って、え?、ということは…?。
「私も初めて入ったんですけど、なんかもっとこう派手でごちゃごちゃしてるイメージでした。しかもベッドも丸くないし」
ベッドが丸くない…?。あ、それって、回るベッドとかいうやつのことか?。
僕にもその程度の知識はあった。ラブホテルと言えばベッドが回るっていうネタをアニメとかドラマで見た気がする。だからそういう思い込みがあったのは事実だ。でもこうして見ると、大きさ的には普通とはかなり違うけど、回ったりしそうにない四角いベッドだった。そうか、こういうのもあるんだな。
それにしても、随分と堂々としてる感じだったから知ってるのかと思ったら、絵里奈も来るのは初めてだって…?。
二人でベッドに腰掛けて、何となく気まずい雰囲気になった。何て言っていいのか分からなくて、二人して固まってた。そしたら絵里奈が「ふーっ」って大きく深呼吸して、
「お風呂、入りましょうか」
そう言って立ち上がった絵里奈が「たぶん、ここがそうじゃないかな」と言いながら部屋の一部を覆ってたカーテンを開くと、そこには壁がすべて透明なガラスになったお風呂場があった。さすがにこれはラブホテルらしい光景だと思った。
二人でお風呂に入ること自体は初めてじゃないけど、だけどあの時とは全然違ってた。あの時はまだ、絵里奈のことをここまで意識してなかった。って言うか、そうだ、あの時にはっきり意識し始めたんだ。彼女のことを女性として。
こうなると何だかすごく照れ臭い感じがして、ドギマギしてしまう。夫婦なんだから別にそんなに意識しなくてもいいのにとも思いつつ、でも頭がくらくらするくらいに熱くなってるのを感じてた。
ここまでくると女性の方が肝が据わるのか、顔は真っ赤なのに絵里奈は僕よりよっぽど堂々としてるように見えた。ガラス張りのお風呂に先に入って、シャワーを出してお湯を調整してた。その後に僕も入ると、彼女が僕を見た。その目は潤んでるみたいに見えて、とても艶っぽい気がした。
そして僕たちは、シャワーを浴びながら抱き合い、唇を重ねた。それまでの触れ合うだけのキスじゃなかった。お互いを貪るみたいに舌を絡め合う大人のキスだった。それだけでもう自分が昂ってくるのが分かった。しかも、絵里奈も同じように昂ってくてるのが何故か分かってしまった。
だから僕たちは、その自分の中で昂ってきた気持ちに素直に従って、突き動かされるままに強く求め合ったのだった。
「…何だか不思議ですね…。こうしてるのがすごく不思議な気がします…」
昂っていたものがようやく落ち着いて、僕と絵里奈はベッドで横になりながら見つめ合ってた。絵里奈は、静かに言葉を続けた。
「私、男の人は初めてだったのに、こんなに満たされた気持ちになれるなんて、本当に不思議です…」
僕が黙って彼女の言葉に耳を傾けてると、絵里奈は少し困ったみたいに微笑んだ。
「達さんも気付いてたと思いますけど、私、玲那とはそういう関係だったんです」
その告白にも、別に驚かなかった。やっぱりなって思っただけだった。
「だからか、男の人とは初めてなのに、まったく痛くなかった。相手が達さんだったからっていうのもあるかもしれませんけど…」
そうなんだ。だけど僕としても、痛い思いさせたりしたくなかったから、そうじゃなかったのなら別にいい。
「だけど、達さんともこうなってみて、実感しました。玲那との関係は、お互いに傷を舐め合うための代償行動だったんだなって…。同性愛ってわけじゃなかったんだなって…」
……。
「でも、玲那のことは今でも大好きです。大切だと思ってます。けどやっぱりそれって、家族として大切に思ってるってことなんですね…」
その気持ちについて、玲那もたぶん同じだということは、僕も分かる気がした。一緒にお風呂に入った時にした話は、きっと今の絵里奈のそれと同じことを言ってるんだって思えた。それを玲那も自覚したから、僕と絵里奈を応援してくれてるんだって思った。
まったく…、マセた娘だよ…。
なんて、少なくとも誰かを本気で好きになるっていう部分では僕より先輩なはずの玲那に対して、ついついそんなことを考えてしまってた。
そんな僕に、絵里奈は恥ずかしそうに微笑みながら言った。
「もしこれで赤ちゃんできたら、どうします?」
でもその言葉にも、僕は動揺したりしなかった。
「その時はその時だよ。家族が増えるのは喜ばしいことだ。沙奈子のことはもちろん心配だし、それを理由に赤ちゃんのことを先延ばしにしようとも思ってたりしたけど、こうなったらもう、なるようになれだ。沙奈子のことも赤ちゃんのことも、まとめて受け止めるだけだ」
僕がそう言うと、絵里奈がまた嬉しそうに笑いながら涙をこぼしたのだった。
 




