二千百五 SANA編 「その事実がある限り」
四月二日。土曜日。曇り。
今日は雨までは降ってなかったから、沙奈子たちは水族館に行ってる。玲那に先導されて自転車で。もちろん大希くんも一緒。すっかり元通りで僕も安心した。
だから沙奈子たちのことはいいんだけど、
『育児は母親の役目だから父親は育休なんて取る必要はない』
とか、
『君は僕の仕事を手伝ってくれないだろ?。なのに僕だけ手伝うなんて不公平だ』
なんて話があるってのは本当に情けない。自分は仕事が休みの時には好きなことしてだらだらしてたりするんだよね?。でも育児は、二十四時間三百六十五日無休なんだよ?。それがどうして『対等』だと思うの?。育児を『仕事』だと考えるなら、玲那も言ってた通り、始業時間と終業時間を決めないといけないし、休日も設定しないといけないし、有給休暇もなくちゃいけないし、何より『給料』を払わなくちゃいけないよね?。なのに現実はそうじゃない。そうじゃないのに、
『自分は仕事してるから育児に協力しなくていい』
ってのは、実際に玲緒奈を育ててきた者としては『おかしい』としか思わない。うちの場合、僕が玲緒奈の相手をしてても、出産のダメージが回復した後の絵里奈は家のことをしてくれたし、加えて『SANA』の『絵里奈デザインのドレスおよび小物類』については育児休業中もずっと作ってたんだ。その上、絵里奈でないと沙奈子のドレスのデザインについて監修できないから、それもやってたし。
対して僕は、少なくとも三ヶ月の間はずっと玲緒奈に集中できてた。それでも絵里奈の協力がなくちゃ、正直、耐えられた自信がない。二十四時間三百六十五日労働なんかにはね。
実際、僕は、玲緒奈が生まれてから一日も完全に『休み』だったことがない。会社の方の仕事は休みがあっても、『玲緒奈の父親』としては一日たりとも休みはなかったんだよ。一年半、ね。
だけどそれについては別に苦痛というわけでもない。だって僕は『玲緒奈の父親』だから。玲緒奈に勝手にこの世に来てもらったんだから、それについての責任が僕にはあるんだよ。自分がやったことに対する責任も負わない親の姿を子供に見せていて、子供がそこから何を学べるって言うの?。自分の責任からどうやって逃げるか、その方法でも教わるの?。
何度でも言うよ。
『子供をこの世に送り出したのは親の勝手であって、子供自身がそれを望んだわけじゃない』
ってさ。その事実がある限り、母親だけじゃなく父親にもその責任はあるんだよ。『育児は母親の役目だから父親は育休なんて取る必要はない』とか責任逃れしてて、『自分の責任と向き合う親の姿』を見せられるわけないと思うんだけどな。




