二千九十九 役童編 「玲緒奈が理解できるまで」
三月二十七日。日曜日。晴れ。
沙奈子たちの卒業式に参列するために僕と絵里奈が出掛けていったことに拗ねた玲緒奈も、帰ってきたらすぐに抱き付いてきて、甘えてくれた。
玲那はすごく大事にしてくれるけど、やっぱり玲緒奈にとっては違うみたいだね。
もちろん、だからって玲那のことが嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだと思う。僕たちが帰ってくるまでの約三時間。玲那に遊んでもらって、半分以上はご機嫌だったそうだから。
ただ、二時間くらい過ぎた辺りからちょっと不満げにし始めて、やたらおもちゃを投げ始めたそうだ。
それに対して玲那は、叱ったりしないでいてくれた。叱ったところで玲緒奈の不機嫌の原因は僕や絵里奈がいないことだから、収まるわけもないどころか逆に追い詰められるだけだし。
そしてここでも、『自分の思い通りにならないことに対してどう振る舞うか?』ということを態度で示す機会が訪れたってことかな。玲那がそれを態度で示すんだ。不機嫌になっておもちゃを投げる玲緒奈に対して、玲那はただ穏やかにニコニコしながら相手をしてくれただけで。
ここで玲那まで不機嫌になったところで、何も問題は解決しない。それどころか余計に玲緒奈の感情を昂らせるだけだ。自分の思い通りにならないからって苛々した態度で相手に接して、それで相手が納得してくれると思う?。自分はそんなことをされて納得するの?。例えばスーパーのレジが長蛇の列になっててそれで苛々して周りの人にその苛々をぶつけて、列がスムーズに流れるの?。そんな都合のいいことなんて起こらないよね?。それどころか周りの人から白い目で見られるようになるだけじゃないの?。
だから玲那も、玲緒奈に対して苛々した態度を見せないようにしてくれたんだよ。大人である玲那がそんな態度を見せてたら、
『苛々した時には周りに当たり散らしたらいい』
っていうのを認めることになるからね。まだ一歳半の玲緒奈には、感情が上手く制御できない。できないからおもちゃを投げつけたりしてそれを発散するしかできない。だけどそんな玲緒奈の様子に苛々した態度を見せないようにすることで、
『苛々して当たり散らすのは当たり前じゃないよ』
というのを手本として示すことになるはずなんだ。
もちろん、一回や二回じゃ伝わらない。言葉だって、一回や二回、赤ん坊の目の前でしゃべってみせたところで話せるようにはならないよね?。それと同じはずなんだ。だから僕たちは何度でも何度でも、丁寧にそれを示すんだよ。玲緒奈が理解できるまで。




