二百五 玲那編 「小動物」
秋嶋さんたちのことについては、これまで通り沙奈子の前には顔は出さないようにして見守るだけっていうことで念押ししてもらうように玲那にお願いすることになった。
「私もそれがいいと思う」
って玲那は笑ったけど、僕は正直言ってやっぱり複雑だった。
お風呂の後、沙奈子と絵里奈のところに戻ると、絵里奈がニコニコ話しかけてきた。
「今日、沙奈子ちゃん、大希くんの家でゆっくりできて楽しかったって」
と嬉しそうに話す絵里奈に、沙奈子も笑顔で頷いていた。そうか、それは良かった。そんな二人を見て、少し気持ちが楽になった。不安もあるけど、まあ何とかなりそうだ。
明日から沙奈子は冬休みに入る。日曜日まではみんな一緒だから大丈夫にしても、問題はそれ以降だ。僕たちは29日の木曜日が仕事納めだから、月曜日から木曜日までは、その間、沙奈子が完全に一人になってしまう。だけどそれについては、絵里奈がすでに山仁さんと話をしてくれていた。
「ダメ元で、夕方まで大希くんと一緒に遊ばせてもらえないでしょうかってお願いしたら、二つ返事で『いいですよ』って言ってもらえたんです」
実は僕も、山仁さんの方から同じことを提案されていた。ただそこまで甘えていいのかは少し迷っていたから、明日以降に改めて話させてもらおうと思ってたのだった。そうか、絵里奈が話をしてくれたんだ。すると絵里奈が続けて言ったことに、僕は驚かされていた。
「山仁さん、千早ちゃんも預かることにしたんですって。だからもう、一人預かるのも二人預かるのも一緒だって」
ええ!?。
…すごいな。いくら在宅仕事だって言っても、夜に仕事してるから昼は寝てるはずなのに。小学生の子が三人も家にいて寝てられるんだろうかって思ってしまった。
ああでも、沙奈子は大人しいし、千早ちゃんもいい子だから大丈夫ってことなのかな。それに、冬休み中も三人で一緒にいられるのは、大希くんにとってもメリットがあるんだ。子供たち同士で遊んでもらえてれば、山仁さん自身も助かるってこともあるかもしれない。
絵里奈はさらに続けた。
「しかも星谷さんも来て、冬休みの宿題を見てくれるって言ってました」
星谷さんまで!?。
まあそれは、星谷さんにとっても大希くんと一緒にいられて千早ちゃんの面倒を見てあげられるから助かるっていうのもあるのか。本当にみんなで協力し合って子供たちを守ろうとしてるんだなって感じた。
すごいなあ。今、沙奈子の周りにはそんなすごい人たちがいてくれてるんだ。
世間や社会っていうのは、決して優しくないって僕も実感してる。歯向かって勝てる相手じゃないから僕なんかとにかく身を縮めて息を殺して気配を消して無難にやり過ごそうって感じで何とか乗り切ってきた。だけど、優しい人っていうのもこの世には確かにいて、そういう人の協力が得られれば、とても小さなものだとしても『優しい世界』っていうものを作ることだってできるんだっていうのを、沙奈子と一緒にいて学んだ気がする。
そう、『優しい世界』ってのは誰かが与えてくれるものじゃないんだ。自分たちで作るものなんだってね。僕たち大人が、そういうものをどうやって作るのかってことを子供たちの前でやってみせることが、子供たちが自分でそういう世界を作っていく方法を学ぶことになるんだっていうのを、僕はこの七ヶ月ほどの間で教わったって思えた。
自分からわざわざ優しくない人に絡んでいって揉め事を起こして『世界は優しくない』って嘆くのとか、何がしたいんだろうって思うよな。優しくない人に絡まれたからって同じようにやり返してて、いつまでもその優しくない人の相手をしてて『苦しい、辛い』って意味が分からない。
僕は元々、『やられたらやり返す』っていう考え方をほとんどしないから、やられっぱなしでいることは苦痛じゃなかった。どうすればそういう人と距離を置くことができるかってことばかり考えてたら何となくトラブルになりそうな相手とはなるべく関わらないようにする嗅覚みたいなのが働くようになった気もする。
来支間さんのことだって、僕がもし、彼に謝罪してもらったり賠償してもらうことに拘ってたら、きっと今でもこんな落ち着いた気分にはなれてなかったと思う。謝罪とか賠償とかしてもらえないっていう『損』をあえて取ることで、僕は代わりにこの平穏を手にすることができたんだ。
僕は自分のその選択を誇りたいと思う。沙奈子に穏やかな日常を取り戻してあげられたのが、僕にとっては何よりなんだ。それを弱腰だとか臆病だとか言うのなら言ってくれて構わない。だけど僕にとっては、他人をやり込めることに価値があるとは思えないんだ。僕はただ、この小さな世界で平穏に生きられるなら、それ以上欲しいものは無いんだ。
外に向かってどんどん挑戦していく生き方をする人がいるのはいい。だけど、そういう人ばかりでなくちゃいけないっていう理由もないはずだよね。小さくまとまることの何が悪いんだ。大きく羽ばたきたいって言うなら勝手にしてもらっていい。邪魔はしない。ケチもつけない。だからこっちのことも放っておいてほしい。僕が望むのはそれだけだ。
この世界は、トラやライオンだけが生きてるわけじゃない。狭い範囲で小さく慎ましく生きてる動物だっていて、世界は成り立ってるんだ。僕は、トラやライオンには憧れない。僕は小動物でいい。それこそが僕の理想の生き方だ。
だから、小動物は小動物らしく、小さな力を寄せ集めて懸命に生きるんだ。
どちらが正しいなんて議論とかする気もない。トラやライオンみたいに生きたいんだったらそういう人たち同士で集まって賑やかにすればいいと思う。でもそれを僕たちに押し付けるのはやめてほしい。
ただ、それで言うと、星谷さんはむしろトラやライオンって感じの人な気がする。それなのに、わざわざ僕たちみたいな小動物の生き方に合わせようとしてくれてるのは不思議だって気もした。でもそれはもしかしたら、大希くんのことが好きだからかな。小動物的な生き方をしてる大希くんと一緒にいるために合わせようとしてるのかもしれないとか、ふと思ってしまった。
僕の膝で莉奈の服作りをしてる沙奈子の姿を見ながら、僕はそんなことを考えてた。
明日の金曜日は祝日。明後日の土曜日には僕たち四人でささやかなクリスマスパーティー。嫌なこともあったりしたけど、どうやら何とか穏やかな年の瀬と新年を迎えられそうだ。そのためにも僕たちは、頑張りたいと思う。
このささやかな幸せを守るために。沙奈子の笑顔を守るために。この子が幸せでいられる家庭を守るために。
それこそが、僕の望みなのだった。




