二百 玲那編 「個人懇談」
「あ、沙奈ちゃん!」
沙奈子と一緒に学校に行くと、千早ちゃんがまだ学校に残ってた。だから沙奈子は千早ちゃんと遊びながら個人懇談が終わるのを待つことになった。
教室の方に向かうと、まだ前の人が水谷先生と話してるところだった。それでふと思った。千早ちゃんがまだ学校に残ってたのは、保護者の人が来るからかなって。
その辺のことはよく分からないけど、運動会や参観日には来なくても、さすがに個人懇談には来るだろうなとは思った。そんなことを考えてると前の人の話が終わって、僕の順番になった。
教室の中に入ってやっぱりすごく小さく感じる椅子に座ると、水谷先生は挨拶もそこそこに「ご結婚おめでとうございます」って言ってきたのだった。
さすがにこれには面食らってしまって、「え?、それをどこで?」って聞いてしまった。すると水谷先生は「あ!」っていう顔をした後、
「ひょっとしてマズかったですか?」
って聞いてきた。僕は手を振って、
「いえ、別にマズくはないんですけど、もしかして沙奈子が?」
と尋ねてた。まあ、沙奈子しか知らない…、あ、そう言えばもう一人知ってそうな心当たりが…。
「実は、山仁大希さんが沙奈子さんにそう聞いて、沙奈子さんが頷いたのを見たもので。すいませんでした」
やっぱり。大希くんのお父さんに婚姻届けの証人になってもらいに行った時、すぐ傍にいたもんな。それで沙奈子に確認しようとしたんだろうな。
「いえいえ、いずれご報告しようと思ってたんですけど、児童相談所のことがあってちょっとそれどころじゃなくなってしまってて、こちらこそすいませんでした」
僕が頭を下げたら水谷先生も恐縮してしまって「いえいえいえいえ」と手と首を振って慌てた感じになってた。でもその後で、
「以前、沙奈子さんが日記に『おかあさん』と書いてらしたのは、奥様のことですか?」
って聞いてきたから、「はい」と正直に応えさせてもらった。
「そうですか、沙奈子さん、ちゃんともうお母さんって思ってらっしゃるんですね。良かった…」
そう言って水谷先生は感慨深そうに何度も頷いた。
「それで、奥様…沙奈子さんのお母さんはどちらに…?」
今度はそう聞かれたから、
「彼女の方は今日、休みが取れなかったものですから」
と応えておいた。それで僕の結婚の話はとりあえずそこまでにして、話は児童相談所で起こった事件のことに移った。
「あまり込み入った事情までは窺えてませんが、行き違いがあったらしいということはお聞きしてます。それで、沙奈子さんがパニックを起こしてしまったと…」
大まかな点では大体その通りでいいと思う。そこまで承知してもらえてるなら、特に言うことはなかった。ただ、少し確かめておきたいことがあった。
「沙奈子の様子はどうでした?」
僕の問いに、水谷先生も少し視線を落としつつ答えてくれた。
「沙奈子さんがショックを受けてるらしいことは、見ていても分かる気がしました。ですが、ご本人が普通にしようとしてらっしゃる限りはこちらもなるべく普通にしようということで、特別な対応はしていません。ただ、もし何か異変があればすぐに対処できるように注視はさせていただいてました。でも、山仁さんと石生蔵さんがいつも一緒にいて、いろいろ気遣ってくださってたようで、沙奈子さんもそれで安心できてたように見えました」
そうか、やっぱり大希くんと千早ちゃんが…。
ありがたかった。あの二人がいてくれたから、学校でも普通にしてられたんだと思った。
他には、沙奈子の学習のことについて水谷先生と話し合った。学校でも遅れを取り戻すために工夫はしてくれてるということだった。それに加えて家での自主学習がちゃんと効果をあげてるらしくて、最近では授業にも他の子とあまり変わらないくらいについていけてると言われた。そのことにも僕は安心した。
個人懇談を終えて校舎を出ると、沙奈子と千早ちゃんが池のところで遊んでるのが見えた。
「沙奈子、終わったよ」
声を掛けると二人とも振り向いて、沙奈子がふわっと微笑むのが見えた。ああ良かった。完全に元通りだって改めて思った。でもそれと同時に、千早ちゃんのことが気になった。だから聞いてみた。
「今日は、千早ちゃんのお母さんとか来るの?」
僕のその質問に、千早ちゃんは当たり前みたいに「来ないよ」って応えた。寂しそうとか残念そうとかそういうのを一切感じさせない顔で。しかも…。
「あの人、学校キライなんだよね。だから絶対来ないの。今まで来たことないと思うよ」
え、ええ?。それって大丈夫なのか…?。まあ、確かに授業参観も個人懇談も義務っていうわけじゃないのはそうだとしても、いいのかなあ…。
「じゃあ、お母さんが来るのを待ってるとかじゃないんだ?」
さらにそう聞くと、千早ちゃんは「うん。ピカお姉ちゃん待ってるの」って。
ピカお姉ちゃん…、星谷さんのことか。でも、どうして星谷さん…?。と思っていたら、千早ちゃんがその疑問に答えてくれた。
「ピカお姉ちゃんが、むかえに来てくれるんだ」
あ、なるほど、そういう…。けどそれに続いて千早ちゃんの言ったことに、僕は驚いてしまったのだった。
「それと今日は、ピカお姉ちゃんが先生とお話しするの」
…はい…?。え、でも星谷さんって親戚でも何でもないただの赤の他人だよね…?。その星谷さんが、千早ちゃんの保護者の代わりに個人懇談に出るっていうこと…?。どういうことなんだろう…。
そんな僕の疑問をよそに、千早ちゃんは嬉しそうだった。
「ピカお姉ちゃんといっしょに晩ごはん食べてから家に帰るの。そしたら千歳も千晶も私の晩ごはん用意しないでいいから助かるし。千歳や千晶が作ってくれるのってインスタントばっかりであきるんだよね。それに私のことすぐ叩くし、ホントは帰りたくないけど仕方ないからピカお姉ちゃんがむかえに来てくれるまで学校で遊んでるの。あ、でも、ちゃんと宿題もやるよ。学校で。あと、水曜日と日曜日は大希くんとこでピカお姉ちゃんとお勉強するの。ピカお姉ちゃん、勉強教えるの上手なんだよ。ピカお姉ちゃんと勉強したら、私、テストで百点取れるようになったんだ!」
嬉しそうにそう話す千早ちゃんだったけど、でも僕は、自分の家に帰りたくないっていうのをまるでそれが普通のことみたいに話す彼女に、胸が詰まるのを感じてた。こんな小さな子が帰りたくないと思う家って…。
僕もそうだった。いつからそうだったのかも思い出せないけど、気が付いたら家に帰るのが嫌で嫌で、学校の図書館とかで先生に注意されるまで粘って時間を潰してたこともあった。
子供が安らげない家って、本当に何なんだろう…。
沙奈子はそうじゃなくなったけど、現にこうして今でもそういう想いをしてる子がいるっていう現実に、僕は、自分が打ちひしがれるのを感じてたのだった。
 




