千九百九十五 玲緒奈編 「努力してもどうにも」
十二月十三日。月曜日。曇り。
先週くらいから、玲緒奈がほとんど絵里奈のおっぱいを飲まなくなってきた。おっぱいをあげようとしても、ぷいっと横を向いてしまうんだ。離乳食も始まって、果汁も飲むようになって、『母乳には飽きた』ってことなのかもしれない。それに、絵里奈の方も母乳の出が悪くなってきてたそうだから、飲むのが大変なんだろう。
「歯が当たって痛かったらありがたいのはありがたいですけど、なんか寂しいですね……」
絵里奈が困ったように微笑みながら言う。その気持ちは父親である僕には分からないけど、
「そうなんだ?」
とは応えておいた。気持ちが分かってないのに『気持ちは分かるよ』っていうのも逆に神経を逆撫ですることもあるだろうから、言わないようにしてるんだ。
そうだ。僕たちは、血を分けた自分の子供である玲緒奈の気持ちさえ、完全には分かってない。分かってないからこそ、
『自分は平気だけど相手はそうじゃないかもしれない』
っていうのを常に心掛けるようにしてる。自分が想像してる通りに相手が感じてくれてる思ってくれてる考えてくれてるとは、考えないようにしてるんだよ。そうすれば、自分が想定してる通りに相手が反応してくれなくてもいちいち腹を立てたりしないで済むし。
玲緒奈に対してもそうなんだ。僕たちの思ってる通りにしてくれなくても、それはむしろ当然で、思ってる通りになってくれた時にはホッとすればいい。
『相手は自分とは違う人間だ』
ということをわきまえてる親の姿勢というのを、僕たちは玲緒奈に示す。それを示さなかった親が子供からどう思われてたかという実例がすぐ傍にあるのに活かさないというのはただの怠慢であり『努力不足』だとしか思わない。自分が努力してないのに『努力すればどうにでもなる』なんて言えないよ。努力しててもどうにもならない事例だってあるし。
夫婦の関係が悪くなって修復できないのなんて、まさしくそうだよね?。努力はしてるんだよね?。してるつもりなんだよね?。なのに修復できない。じゃあ、『努力すればどうにでもなる』なんて言えないじゃないか。不貞行為をしてしまう人はどう?。それをしない努力はしてるの?。努力をしてないなら『努力しろ』なんて子供に対して言えないし、努力しててもやめられないのなら『努力すればどうにでもなる』なんて言えないよね?。
家族から敬われてないって感じてる場合もそう。家族との関係を良好に保つ努力をしてないのなら『努力しろ』なんて言ったところで説得力はないし、努力しててもそれだったら、『努力すればどうにでもなる』なんて言えないよ。
努力してもどうにもなってないんだったらね。




