千九百八十七 玲緒奈編 「動物としての本能」
十二月五日。日曜日。雨のち曇り。
昨日は晴れてたこともあって、沙奈子たちは自転車で水族館に行ってた。玲那の引率で。寒くなってきたけど、その辺りもしっかり対処してる。だから、途中からは暑いくらいだったって。
もっと寒くなったらさすがに星谷さんに手配してもらったハイヤーとかで行くことになるとは思いつつ、沙奈子が自分から『自転車で行きたい』と思ってくれるようになるのも本当に嬉しい。
今も他所の人から見たら愛想のよくない沙奈子だけど、それでも僕から見ればすごい成長ぶりなんだ。ほとんど別人だよ。アパートの部屋の隅でうずくまってた沙奈子が、こうして自分から自転車で水族館に行こうと考えられるようになったのが、奇跡みたいに思える。
どこの誰とも知れない人の『好み』や『価値観』なんてどうでもいい。沙奈子は沙奈子の生き方をしてもらえたらそれでいいんだ。
でも、だからって僕は沙奈子が誰かをイジメるようなことがあった場合には、親としてその事実には向かい合わないといけないと思ってる。
『イジメはなくならない』
なんて言い訳で自分の子供が誰かをイジメてるのを正当化するつもりなんかさらさらないんだ。『イジメはなくならない』のは事実でも、自分の子供が他所様のお子さんをイジメてる事実から目を逸らすような親ではいたくない。『加害者に甘い社会なんて!』とか言うんなら、自分がまず、加害行為に対して厳しく自分を律しなきゃ話にならないと思うんだけどな。
それは、
『自分の子供が他所様のお子さんに対して加害行為を働いたという事実から目を背けない』
ってことも含めてね。だから僕は、自分の子供がイジメをしていたなら、学校には通わせない。勉強は家ですればいい。内申書に響いていい学校に行けなかったりいい会社に勤められなかったりしてもそれは自分が働いた加害行為に対する報いだから当然だよ。
『イジメるのは動物としての本能だから』
とかで言い逃れようとするその性根が『甘え』だよね。加害行為を『本能だから』で済ませようなんて、大人として恥ずかしくないの?。僕は恥ずかしいけどな。自分を人間だと思うのなら。
そんなだから、必死で助けを求めてる人を見ても『SNSに上げて反応を稼ぎたい』とか思えるんじゃないの?。それを『恥ずかしいことだ』と思えないのは、自慢できることなの?。
『必死で助けを求めてる人を面白がって写真に撮ってSNSに上げて反応を稼ぎたい』とか考えるのって、イジメで相手を痛めつけてそれを面白がってる心理と何が違うんだろうね?。
僕は、『自分の子供が他所様のお子さんに対して加害行為を働いたという事実から目を背けない』でいたいんだ。沙奈子や玲緒奈をイジメ加害者にしないためにも。




