千九百七十六 玲緒奈編 「何か事件が起こる度に」
十一月二十四日。水曜日。晴れ。
今日、中学三年生の子が同級生を刃物で刺したっていう事件があった。僕はその話を目にした途端、
『ああ、これでまた、イジメがあったとかなかったとか、復讐は必要だとかどうだとか、無関係ない人らが騒ぐだろうな』
って思ってしまった。
玲那が言う。
「私が事件の後に声明を出してからも、『復讐は虚しいだけだからやめとけとかなんて綺麗事』みたいなことを言うのがいなくなることはなかったけど、また同じことが繰り返されるんだね……」
って。玲緒奈が寝てる横で、自分のスマホを手に、悲しそうな表情で。
玲那は、自分を虐待してた実の父親への復讐という意味もあって、包丁で刺してしまった。なのに世間には、玲那がどんな目に遭ってたかを知らずに、『人殺しは死ね!』と攻撃する人が少なくなかった。しかも、玲那が受けた虐待のことが漏れ出てくると掌を返す人が続出したりもしたんだ。その光景は本当に今思い出しても吐き気がする。
しかも、玲那自身は、
『自分はたまたま加害者がはっきりしてて目の前にいたからよかったけど、もし、誰かが事情を知らずに自分を止めようとしたらきっとその人のことも刺してた』
と思うからこそ、『復讐しか頭にない状態の人は何をしでかすか分からないから復讐はしない方がいい』と思ってるのに、それを『綺麗事だ!』と切り捨てる人がいることが悲しいって。何しろ玲那に対して加害行為に及んだ人は何人もいる。それどころか、児童相談所の職員の人の親族にまで加害者がいたことが、星谷さんが雇った探偵の調査で判明した。
もし、玲那がその加害者たちにまで復讐を考えてたら、どうなってたかな?。本当に、『加害者だけ』に復讐を果たせたかな?。まったく無関係な人を巻き込むことがなかったと言えるのかな?。
『復讐してもしなくても事件はなかったことにならないんだから、だったら復讐した方がすっきりする』
とか言う人もいるらしいけど、その『すっきりする』ために無関係な人まで巻き込まれたら、どう責任を取るの?。それも『加害者が事件を起こさなかったらこんなことにはならなかった!』って、『他人の所為』にするの?。『加害者をちゃんと罰してくれる制度がない社会が悪い!』って、『社会の所為』にするの?。
何か事件が起こる度に『他人の所為にするな!』『社会の所為にするな!』って言うのに、自分が何か事件を起こそうとする時には『他人の所為』『社会の所為』にするの?。
そんな身勝手な人だから事件を起こすんだとしか思わないけどな。




