千九百七十三 玲緒奈編 「まな板の上の鯉」
十一月二十一日。日曜日。晴れ。
千早ちゃんや波多野さんが自分の母親のことを『ヒスババア』とか『クソババア』とか言ってることについて世間は強く批判すると思うけど、でも、二人が言ってるのはあくまで自分の母親に対してであって、それ以外の誰かに対して悪態をついてるわけじゃないんだよね。
『親が自分の子供から評価を受けてる』
だけでしかないと思う。
世の中には、
『子供から親への評価は絶賛しか認めない』
って人も多いような気がする。だけどそれはおかしいよね。これについては玲那も言ってたんだけど、
「創作に対して『絶賛しか許さないのはおかしい』って言うのもいるけど、別にそれを面白いと思った人がいくら絶賛したって、面白いと思った人が少なかったらその絶賛も少ないし、利益だって大きくならないじゃん。商業上の創作物ってのはそういう形で容赦ない『評価』を受けるんだよ」
って話と対応させてもちゃんと両立すると思う。だって、創作物はたくさんの人が評価を下すわけだから、好意的な意見だけしか取り上げられなくてもその『好意的な意見の数』や『生じた利益』という形でしっかり評価を受けるけど、
『親に対する子供からの評価』
は、子供しかいないわけだからね。『好意的な意見の数』や『生じた利益』という形では表れることはまずない。だとすれば、『子供自身の素直な意見』でしか評価のしようがないよね。それで『絶賛しか許さない』というのはおかしいと思う。
僕は、沙奈子や玲緒奈からどんな評価を受けても仕方ないと覚悟を決めてる。自分が完璧じゃないことは分かってるから、悪い評価があっても当然だと思うんだ。もちろん悪い評価を受けていい気がするわけじゃないけど、創作物とかと違ってそれを言ってくるのは、今の時点では沙奈子と玲緒奈と、あとは玲那だけだからね。たった三人からの批評にも耐えられないんじゃ、仕事なんてしてられないよ。
『育ててやった相手から悪く言われるとかおかしい!!』
って言うかもしれないけど、もうその時点で僕とは認識がまったく違う。僕は『育ててやった』なんて思ってないよ。沙奈子や玲那の親になるのは僕自身が選択したことだし、玲緒奈に至っては僕の勝手でこの世に送り出したんだ。自分が選択したことやったことの後始末をしてるだけなのに『育ててやった』なんて、おこがましいにもほどがあると思う。
だから僕は、沙奈子や玲那や玲緒奈が親としての僕をどう評価するかについては、『まな板の上の鯉』の心境だよ。




