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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
1963/2601

千九百六十三 玲緒奈編 「道連れに死にたいと」

十一月十一日。木曜日。晴れ。




今日はまた、保育園に刃物を持った人が侵入したって事件が。


昔、包丁を持った人が小学校に侵入して何人もの生徒を刺して死なせたという事件のことを思い出す。その事件の加害者も、裁判で、


『さっさと俺を殺せ!!』


的なことを口走ったらしいね。山仁やまひとさんのお父さんと同じように。そしてその要望に応えてすぐに死刑になったというのも同じか……


そうやって要望に応えることが本当に罰になるんだろうか?。もちろん僕だって、家族を殺されたら死刑を望むと思う。死んでほしいと考えると思う。だけど同時に、玲那のことを攻撃してた人たちにも、玲那を死ぬまで追い詰めようとしてた人たちにも死んでほしいと思うんだ。


玲那はあの事件の時、実の父親を包丁で刺した後、自分の喉も刺して死のうとした。結果的にそれは失敗したけど、代わりに声を失った。なのに世の中には、そんな玲那を死ぬまで追い詰めようとしてた人たちもいた。玲那がどんな目に遭ってきたかも考えずにね。


それでもし玲那が改めて死を選んでいたら、僕から見たら玲那を追い詰めようとしてた人たちは全員、『人殺し』だよ。法律上の殺人には当たらないとしても、まぎれもない『人殺し』だ。命は命でしか贖えないって言うのなら、その『人殺し』にも命で贖ってもらいたい。百人でも千人でも万人でも、全員、死んでもらいたい。


人殺しなんか死ねばいいんだよね?。人殺しが死ねばそれだけいい世の中になるんだよね?。じゃあ、ぜひとも、誰かを死ぬまで追い詰めた人にも死んでほしいと強く思う。


『攻撃される原因を作った方が悪い!』


なんて言って『他人の所為』になんてしてないで、


『悪い奴が罰せらえない社会が悪い!』


なんて言って『社会の所為』になんてしてないで、人を殺したんだからさっさと死んで命で贖ってほしい。そうじゃなきゃ自分たちが言ってることは口先だけってことになるよね?。


今回はたまたま犠牲者が出なかったからよかったけれど、もう自棄をおこして他人を道連れにして死にたいと思ってる人を止められる『社会の仕組み』なんて何があるのか分からない。そんなこと実現できるとも思わない。


『こういう奴はどんどん死刑にしていけばいい!』


って言うのなら、玲那を死ぬまで追い詰めようとしてた人たちにもぜひ死刑になってもらいたい。だってそういう人たちは、結局、他にも誰かを追い詰めて殺そうとするだろうからね。


でも、自分が殺されそうになったら、そういう人たちも、『死なばもろとも』で事件を起こす可能性が高いとしか思わないけどな。


その一方で、玲那が、自分を虐げてきた加害者とそれを野放しにしてた人たちを道連れに死にたいと考えてもそれを実行しないのはなぜなのか、僕はちゃんと理解したいと思う。



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